2004年5月刊『新・足物語』木村斉

「毎日新聞」2004年6月9日  評者 清水直樹

「新・足物語」が好評 庵治の元高校教諭木村さんの自伝エッセー
「人生のバイブル」教え子ら中心に全国へ 俳優森繁さんもメッセージ
 庵治町の元高校教諭、木村斉さん(62)が、生徒の卒業記念などに寄稿した自伝エッセーを集めた「新・足物語」を出版した。幼少時代に右足を襲った骨髄炎を乗り越えて心と体の両面で強さを身につけていくまでをつづった体験談を通して、社会を歩んでいく若者に勇気を持ってもらおうと託した手記計25点を収録。卒業生からは「人生のバイブル」として好評だ。
母校の県立高松高校で1964年に教師生活をスタートさせた木村さんは、翌年暮れに同校の卒業記念誌「玉翠」の制作に取り組む生徒会の3年生に持ちかけられた。「『玉翠』に寄稿していただけませんか。何を書いてくださってもかまいません」
 木村さんは、自身のこれまでの体験を振り返った。右足に持病を抱え同級生と一緒に野球やサッカーが出来なかった幼少時代、好きだった落語を披露したことで人前に出る楽しさを味わった高校時代、瀬戸内海の無人島・兜島で一生の友人となる俳優の森繁久彌さんと出会った大学時代……。「自分の人生はドラマの連続だ。これをかきつづってやろう」
 木村さんの手記は、その後異動で同校を離れる83年まで「玉翠」に毎年登場。名物コーナーとして定着した。卒業生からは「最初からまとめて出版を」「卒業生も続けて読みたい」との声が次々と上がり、72年には卒業生らのカンパで集まったお金を元手に、7年分を集めた「足物語」が出版された。
 その後も毎年の分が加えられ、90年発行の新装版は全国の書店に置かれるように。現在では、生徒との接し方を学べると、教師からも人気があるという。
 「新・足物語」は、「足物語」に収録された中から抜粋した10章に県立志度高校で教頭を務めた99年度に書いた随筆57本を収めた「老足物語」のうち15本を加えて構成。兜島以降親交のある森繁さんは、冒頭で「先生の超人的な負けじ魂や、そのかげのやさしい心に胸さかれるに違いない」とメッセージを寄せている。
 30年間教壇に立つ傍ら、サッカー部の顧問として生徒の指導に当たってきた木村さんは「執筆してきた手記が、卒業生を中心に全国に広げ、夢に向かって挫折を克服する強さを抱くきっかけになれば」と話している。

 

「読売新聞」2004年8月28日

病克服 軽妙に体験描写
 高松高校の元生物教諭の自伝――とは、一言で片付けられない。慢性骨髄炎で不自由な右足に苦しんだ少年期、病を克服してスポーツに力を注いだ新米教師の時代のことなど、同校の卒業式に合わせて生徒会が発行する本「玉翠」に載せた随筆をまとめ、1972年に私家版で出した「足物語」は、版を重ねて全国に知れ渡った。続編「老足物語」を収め、装いを新たに出版した。
 スポーツも遊びも仲間外れでね。でも、皆と遊べない分、自分の時間があるから、よくラジオの落語を聴いていました。落語には「業の肯定」という考えがあって、つらい身の上を笑い飛ばすんですよ。体が弱いとか足が悪いとか、自分の身の上を「ええやん」と認められるんです。
 落語に出会ったおかげで、くよくよせずに前を向いて頑張らねば、と思えたんですね。だから、初めての人には、取っつきにくい闘病物語と思われがちですが、本当はお笑いなんですよ。
 過酷な闘病生活を乗り越え、着任した母校で「遅れてきた遊び盛り」の時をおう歌する。そのバイタリティーは、痛快でさえある。
 足が良くなり、人生が激変しました。ため込んだ悔しさがバネになったんですね。生徒に交じってマラソン大会に出たり、マイナーだったサッカーに熱中したり。
 「書き手がいないから」と原稿用紙を渡され、じゃあ、とマラソン大会でぞろぞろ歩く生徒に向けて檄文を書いたんです。足の悪かった自分が走っているのに、若いお前たちはなんだ、と。それが「足物語」の始まりでした。
 簡潔なセンテンスを重ねた明快な文体。教え子や家族らとの思い出をつづる文章は、ユーモアにあふれる。その軽妙なテンポは、落語の語り口に通じる。体験のみずみずしい描写も魅力。子どもにも読みやすいよう読み仮名を振った。
 頭だけで考えた絵空事なんて書けません。「昔のことをよく覚えているね」と言われるけど、人生の"ポイント"はちゃんとインプットしてあるのね。
 逆につまらない語には引用が多いものでしょう。「誰々という人はこういう話を……」なんて具合に。文章も語りも、本人の体験やにじみ出るリズムがないと。中学時代に新聞部にいた体験も、文章構成に生きていますよ。
 著述業、落語家、一級紙技士、自然観察指導員……。教職を退いても、活躍のフィールドは広がる一方。「足物語」を読んだ教諭らに請われ、全国の学校などで開く講演会は300回を超えた。
 生物屋の本業を忘れそうですね。でも、第二の人生でいろんなことを始める素地ができたのは、この本がたくさんの人に読まれたおかげ。いい年になっても、自分のタレント部分を役立ててもらって、忙しく楽しいですよ。
 だからね、言われますよ。「この本がなかったら、こんな豊かな人生ではないでしょう」と。うん、そうだと思う。「逆にこれを書いたから、校長にもなれたんでしょう」と、うん、それも言えるかな、と。