2007年12月刊『朝河貫一とその時代』矢吹晋

「朝日新聞」2008年2月 10日  評者 高原明生(東京大学教授)

「世界史を貫く道義」を信じた国際人
 あなたは朝河貫一を知っていますか?
 朝河はエール大学で歴史学教授を務めた初めての日本人。1873年、戊辰の役に敗れた旧二本松藩に生まれ、今の早稲田大学を経て渡米し、歴史学を修めた。
 「世界史を貫く道義」の存在を信じた朝河は、平和のために行動する国際的知識人でもあった。日露戦争を終結させたポーツマス条約の交渉中は、代表団のホテルに泊まりこんで正義の戦争には賠償は無用と説き、頭に血が上った日本の新聞記者たちの不興を買った。日露戦争後は日本の朝鮮併合や対華二十一カ条要求を批判し、大隈重信に「覇権なきアジア外交」を進言、日米開戦前夜にはルーズベルト大統領から天皇への親書の原案を起草した。
 他方、本業の中世史研究では、欧米とくに米国の日本史学の源流となる業績を残した。なかでも、鹿児島県の入来院家に伝わる、平安末期から明治初期に及ぶ古文書を解説したその著作は、日本における封建制度の紹介として高く評価された。また、エール大学東アジア図書館や米国議会図書館のために東アジア学の基本資料を整える基礎を作った人物でもある。
 ですが、あなたは朝河貫一を知っていますか?
 朝河の人と学問を紹介する入門書として書かれたのが本書だ。朝河史学が日本ではなぜほとんど知られていないのか、その原因について著者は次のように指摘する。まず、「厚い、読みにくい本」として英語で書かれたこと、そして朝河が一般向けの本を書かなかったこと。さらに、農民が経営者的な感覚で水田を管理した中世日本には農奴がいなかったという朝河の主張は、封建的な農奴制があったからファシズム政治が行われたとする唯物史観の観点とは相容れなかった。
 著者は著名な現代中国学者だが、定年退職後は全力を挙げて朝河の著書の翻訳に取り組み、その成果を大部の「朝河三部作」に結実させた。歴史学という「熱なき光」で人類社会の来し方と行く末を照らそうとした朝河の精神が、いま甦る。