2007年1月刊『よみがえれ青い空』篠原義仁 編著

「赤旗」2007年3月4日  評者 柴田徳衛(東京経済大学名誉教授)

 未来へ向け環境を守る成果の意義
 工場の煙突から昇る濃い煙と大型トラックが撒き散らす黒い粉塵――従来の川崎が持つ印象は、残念ながら公害に汚れたまちであった。しかし最近四回にわたり催された「環境・まちづくり作文、絵画コンクール」に寄せられた市内の子供たちの作品は、驚くほど新鮮で市の環境を未来に向け守ろうという意気込みに満ちていた。本書は序文でまず、この新しく芽生える心意気を伝えてから、第一章・第二章と川崎の公害裁判を通じ、いかにその被害を抑え、被害者を救い、まちの新しい再生に向け歩み始めるかの長い経過と努力を語り始める。
 話は1982年、原告団119名による加害13企業と道路の設置・管理者である国、首都高速道路公団を被告とする損害賠償と差し止め請求の提訴から始まった。そして94年の第一次判決で大企業に勝訴し、98年の第二-第四次訴訟判決で国と道路公団に勝訴して原告団要求をかなり盛り込んだ和解を成立させた。普通ならこれで裁判闘争を終わりとし、原告・弁護団は解散となるが、この「終わり」をむしろ「始め」として、さらに被害者の完全救済・公害の根絶と環境再生に大きく動き出した。
 沿道の環境改善などは進むが、事態は国の経済成長政策に乗り、縦長の地形的特徴を有する川崎市内を十本を越える幹線道路が走り、その結果、市北部にまで公害の被害が拡大した。これに対し「ぜん息患者の医療費救済を求める連絡会」を03年に結成して、市当局やあらゆる関係方面に交渉し努力して、遂に新条例による救済制度拡大の成果を07年に挙げた。
 「東京あおぞら裁判」が重要段階に立ついま、本書が紹介する成果は大きな意義を持つし、また同じく類似の公害被害に直面し始めたアジア近隣の発展途上国にも貴重な参考となろう。

 

「赤旗」2007年2月4日

公害根絶へさらに 川崎・和解10年出版の集い
 『よみがえれ青い空 川崎公害裁判からまちづくりへ』の出版記念と新春のつどいが3日、川崎市中原区のザ・エルシー武蔵小杉で200人以上の参加で開かれました。主催したのは、川崎公害病患者と家族の会、川崎公害裁判弁護団、川崎北部の喘息患者と家族の会、川崎公害根絶・市民連絡会、川崎公害裁判原告団です。
 大気汚染を断罪した川崎公害裁判で原告が加害企業と和解してから10年、公害道路管理の国・道路公団(当時)との和解後7年半がたちます。同書は、和解後10年間の運動をまとめたもの。
 あいさつした篠原義仁弁護士(同書編著・同裁判弁護団事務局長)は、和解後の10年のたたかいは「和解条項達成に向け、原告団(患者会)、弁護団、市民連絡会の三者が団結し、①被害者の救済②公害の根絶③環境再生とまちづくりの三本柱でとりくんできた」ことを紹介し、豊富で具体的な実績をまとめた同書が「和解間近の東京裁判など全国のたたかいに示唆するもの」と全国的意義を強調しました。
 つどいには、日本共産党から、はたの君枝参院神奈川選挙区候補(前参院議員)、谷川智行参院比例候補、松尾たまき県議候補、佐野よしあき川崎市議、宮原春夫、西尾りえ子の両市議候補が紹介され、代表して佐野市議があいさつしました。かもい洋子県知事候補のメッセージも紹介されました。
 主催した「川崎公害病患者と家族の会」の根本まち子副会長(68)は、「多くの参加でうれしい。公害根絶まで、たたかい続けたい」と語りました。

 

「読売新聞」2007年2月4日

 川崎公害裁判で被告企業との和解が成立して10年たったのを機にまとめた本の出版記念の集いが3日、川崎市内のホテルで開かれ、執筆者らが環境再生のまちづくりを振り返っった。
環境再生振り返る
 この本は「よみがえれ青い空」。同裁判で1996年12月、被告企業が和解に応じて謝罪して以降の患者団体らのまちづくりの足跡を振り返っている。
 新年会を兼ねた集いは「川崎公害病患者と家族の会」などが主催し、患者や支援者、弁護士ら約200人が出席した。
 あいさつに立った編著者の篠原義仁弁護士は「和解後も、原告団と弁護団、支援団体が解散せず、今も被害者救済などに向かって市と闘っているのが川崎の特徴」と述べた。成果として、全市のぜんそく患者を対象とした川崎市の医療費助成制度の創設などを挙げた。
 この後、幹線道路の緑化や、小中学生から環境をテーマとした絵画・作文を募集するコンクールなど、10年間の環境再生に向けたまちづくりを写真で振り返った。

 

「神奈川新聞」2007年2月4日  記者 斉藤大起

 大気汚染公害に苦しんだ被害者らが企業や国の責任を追及した「川崎公害裁判」で、企業側との和解成立から10年がたったのを記念し「つどい」が3日、川崎市中原区内のホテルで開かれた。参加した約200人の被害者・支援者らは「青い空を取り戻そう」と、公害の根絶を訴えた。川崎公害病患者と家族の会(北島幸会長)、川崎公害裁判弁護団(加藤満生団長)、川崎公害根絶・市民連絡会(二木義雄会長)などの主催。
 弁護士団事務局長の篠原義仁弁護士は、和解後も「原告団」「弁護士団」を解散せずに活動を続けたことを説明。公害は"現在進行形"であると指摘した上で「被害者の救済と公害の根絶を目指さなければ」と話した。北島会長は「市民が命懸けで裁判を闘い抜いたことを風化させてはならない」とのコメントを寄せた。
 訴訟は1982年に提訴され、96年12月に原告勝利の形で原因企業と和解も成立した。被害者らはその後も、主要道への植樹や医療費救済制度の新設など環境改善のために活動を続けてきたという。
 つどいでは、和解成立後の取り組みを記録し、このほど出版された「よみがえれ青い空 川崎公害裁判からまちづくりへ」も紹介された。