2009年6月『ブレヒトと音楽①〜③』市川明

「赤旗」2009年9月6日 評者 小村公次(音楽評論家)

新たな音楽生み出す作品の力探る
 本書は〈ブレヒトと音楽〉というテーマで演劇学と音楽学の視点から行われた総合的研究を、4巻からなる一般書として刊行したものである。その内容は第1巻「詩とソング」、第2巻「音楽と舞台」、第3巻「テクストと音楽-上演台本集」というもので、第4巻「歌の本」は来年6月に刊行予定である。
 編者の市川明が「従来のドイツ文学・演劇研究ではブレヒト文学・演劇研究ではブレヒトと音楽の関係はまったくといっていいほど研究されてこなかった」(第1巻まえがき)と指摘しているように、わずかな例外をのぞいて、本書のようなアプローチはこれまでなかった。
 本書で特に興味深かったのは初期の創作過程を解明した「シンガーソングライター、ブレヒト-若き詩人とサブカルチャー」や、詩と音楽がどのように結び合い、共生していくかを探った「『あとから生まれてくるものたちへ』-ブレヒトとハンス・アイスラー」という市川の論文である。これらを読むと、「歌うために詩を書き、それに曲をつけた」初期の段階から、アイスラーという非凡な作曲家との協働へと発展していく創作過程がよく理解できる。
 本書のもうひとつの功績は、大田美佐子論文での林光、萩京子、寺嶋陸也、ヨアヒム・ルケージー論文でのスイス人作曲家パウル・ブルクハルトやフルトライヒ・ゲオルク・フリューなど、ブレヒトに関わりのある作曲家の仕事が紹介されていることだろう。
 これは、韓国で上演された『肝っ玉おっ母とその子どもたち』の音楽について崔宇晸論文で決定的な確信となる。つまり各国語に翻訳されたブレヒト作品は、必然的に新たな音楽を生み出し、今日的なメッセージを発信していく力を持っていることである。その意味でも、本書は貴重な労作といえるだろう。

2008年7月刊『ブレヒト 詩とソング──ブレヒトと音楽』市川明

「季論21」10・春  評者 奈倉洋子

 『ブレヒトと音楽』シリーズは、詩人・劇作家ベルトルト・ブレヒトと音楽との根源的とも言える実にさまざまな関わりを明らかにしている。執筆者の一人であるヨアヒム・ルケージー氏によれば、ブレヒトの仕事場はさながら音楽ライブラリーのようであり、そこにはありとあらゆるメロディー、思いついたリズムや特定の楽器に対する特別な関心といったものが整理、保存されていて、必要に応じてそれらのメロディーのモデルは暗唱され、新しいテクストが付けられたという。ブレヒトがこれほど音楽に漬かりきっていたということは、恐らくそれほど知られてはいないだろう。だからこそ、「ブレヒトと音楽」というテーマは、これまでとは異なる角度から詩人・劇作家ブレヒトの核心に迫る、画期的な意味をもっているといっていいだろう。しかも、文学研究者と音楽研究者のコラボレーションによってそれが探求されるのだから、尚更意義深い。
ブレヒトの出発点は抒情詩人だった、というのがこれまでのいわば常識だった。だが、この「常識」は、本シリーズ1『ブレヒト 詩とソング』冒頭で大きく覆される。ブレヒト自身、ことあるごとに強調していたように、詩人としてではなく、歌手として芸術活動をはじめたのだ、つまり、今でいう「シンガーソングライター」として、自らギターを弾いて歌ったのがことのはじまりであるというのだ。
 ブレヒトが若き日に、文学キャバレーの舞台に立ち、自作の詩に自らメロディーをつけた「死んだ兵士の伝説」を、ギターを弾きながら歌った事実は、断片的シーンとして知ってはいた。だが、初期の詩の殆どに曲がつけられ、歌われていたことまでは知らなかった。シンガーソングライターだとすれば、先にメロディーがあり(浮かび)、それに合う歌詞を考えることもあるだろう。また、詩には、歌いやすいことばや韻律が選ばれるだろう。事実、ブレヒトの弟ヴァルターによれば、すでに存在するメロディーがブレヒトを作詞へと駆り立てたのだという。
 ヤン・クノップ氏によると、たとえば若き日の愛の詩として名高い「マリー・Aの思い出」、まっ白な雲にマリー・Aとの愛の思い出を重ねたあの抒情詩は、お気に入りの流行歌のメロディーが先にあって、それに合う、歌えるような形で作られたというのである!(「失われた記憶-勘違いされたマリー・Aへの愛の歌」)
 言葉のみを用いて書かれた詩は、音楽とともに、音楽になるように書かれた詩とは大きく異なるものだろうし、言葉をひたすら紡いでいく「純粋詩人」と、詩と音楽が不可分に結びついた表現行為をする詩人兼歌手とでは相当な違いがある。だとすれば、殆どのブレヒト全集において、初期の詩が純粋テクストとして出版されている現在の状況は改められる必要があるだろう。
市川明氏は、「シンガーソングライター、ブレヒト」で、幼少期からのブレヒトと音楽との関わりについて、詳しくたどっている。アウグスブルクの製紙工場の支配人であった父親は音楽好きで合唱団に属し、家にはピアノが置かれ、二人の息子はヴァイオリンとピアノを習い、家族で音楽会を開くこともあった。また、ブレヒトはメモ魔で、民衆の言葉や語り口をメモし、砂売りや牛乳売りが売り声をあげるとついて回って一緒に声を出した。幼児期から、「印刷された言葉より、語られ、歌われた言葉が彼の創作の本質的な出発点になっていた」という。
 そして、幼少時から足繁く通った歳の市で目にした大道芸ベンケルザングから大きな影響を受けているとし、ベンケルゼンガーの口上とブレヒトの「三文オペラ」中の「どすのメッキーのモリタート」のリズムと韻律とを具体的に比較しながら、その影響関係を明らかにしているのは大変興味深い。しかし、ベンケルザングの影響は音楽面に限ってみても、それだけにとどまらないと筆者には思われる。
 ルケージー氏の文(シリーズ2「オーケストラに自由を!」)で指摘されている、ブレヒトが「前代未聞の」新しいものよりも平凡で単純なメロディーを愛し、よく知られたメロディーを新しい文脈の中に取り込む本歌取り(パロディー)の手法をしばしば用いたことは、ベンケルザングの特徴や手法を思い起こさせるからだ。ベンケルゼンガーが歌う唄は、観客が後で自分でも歌えるように、皆に親しまれているメロディーを使うことが多かったのだ。
市川氏の論はさらに、シンガーソングライターから演劇の道へと進んでいくブレヒトの活動を追う。若き詩人ブレヒトは、歌を作り、それを上演するのに、友人たちとのグループで集団創作の方法を取り入れていたこと、その後戯曲を作るようになると、抒情詩の機能と戯曲の機能を区別し、戯曲の公的な機能に優位性を与えるようになり、抒情話は次第に演劇の中に組み込まれていくようになったこと、仕事の重点を移すにつれて、歌うこと、作曲することは、その道のプロに任されていくようになったことが明らかにされている。劇作家ブレヒト誕生に至るまでの歌とパフォーマンスの軌跡を整理・分析した仕事は得がたいものである。
ルケージー氏の「人前でギターを弾くこともあるからさ」は、音楽重視のブレヒト研究への数々の提言を行っている。中でも、ブレヒトとワーグナーとの関係について指摘していることは非常に興味深い。従来のブレヒト研究では、ワーグナーとの関係は、批判的、ないしは拒否的なものとされてきた。なぜなら、ブレヒトは、ワーグナーが主張する総合芸術は諸芸術を溶かし込み、それぞれの芸術の特殊性を奪ってしまうものであり、また、この総合芸術には観客も溶かし込まれ、催眠状態にされてしまうとして、強く異議を唱えたからだった。
ルケージー氏は、だからといって、ブレヒトがワーグナーの芸術構想を無視したと言えるのだろうか、と問題を投げかけ、ブレヒトはワーグナーの総合芸術を強く意識し、部分的にワーグナーを受け継いでもいるのだという独自の考えを述べている。たしかに、自らの手で歌劇合本を書き、作曲したワーグナーに、ブレヒトは自分と共通するものを見出していただろうことは想像に難くない。 
さらに、「ワーグナーは、諸芸術を、歌手、音楽家、聴衆を音楽劇の熱い融合過程に引き込み、汗をびっしょりかかせるが、ブレヒトはそれを徹底的に冷ます。「諸要素の分離」、「自立した芸術の集団」という自己の構想を効果的な冷却装置としてワーグナーの総合芸術構想に移植することによって。ブレヒトはすべてを包括する演劇芸術という構想を飽くことなく追求したが、それは――勿論芸術美学上も芸術政策上もまったく違った考えからだが――ワーグナーに続くもので、部分的にはワーグナーを受け継ぐものだ」と指摘しているのは傾聴に値する。
ワーグナーとブレヒトの関係は、批判的拒否的な次元だけでなく、生産的創造的次元からも考え直さなければならないとする指摘は核心をつくものであり、今後の研究が待たれる。
本シリーズでは、クルト・ヴァイル、ハンス・アイスラー、パウル・デッサウなどの作曲家とブレヒトの共同作業の実態が詳細に明らかにされている。その中でも、詩『あとから生まれてくるものたちへ』、および戯曲『母』をめぐるハンス・アイスラーとの共同作業が2編の論文で取り上げられている。この2人の共同作業こそが、詩と音楽のどちらが上ということではなく、詩と音楽が各々独立性をもって、ひとつの作品に結実することができた稀有な関係だったと市川明氏は述べている。
 オペラにおいて、音楽と言葉のどちらが中心かをめぐってクルト・ヴァイルとの間に起きた猛烈ないさかいを考えると、アイスラーとの関係はいかにも稀有なものだったと言えよう。ブレヒトは生涯にわたり、創作過程において数々の共同作業を行った。マリールイーゼ・フライサー、ルート・ベルラウなどの女性たちとの共同作業においては、共同作業者の名が全く表に出ないか、部分的にしかその名が明らかにされぬまま、ブレヒトの名で作品が公にされている。 
真に対等で独立した関係の共同作業を実現するのは容易なことではない。ブレヒトとアイスラーとの場合、なぜそれが可能だったのだろうか。ブレヒトのような、相手を自らの方へ引き寄せてしまう磁力のある人間と、対等で独立した関係の共同作業をすることは大変難しいと思われる。だがそれが本当に実現したのなら、それを可能にしたものは一体何だったのだろうか。大田美佐子氏の「ブレヒトと日本の作曲家たち」は、ブレヒトのテクストに曲をつけた林光、萩京子を取り上げている。ブレヒトの音楽理論と格闘しつつ、異化として有効に働く日本語ブレヒト・ソングを作ることを追求した林と、野村修訳『ブレヒト愛の詩集』に触発され、抒情詩に曲をつけた萩の曲の特徴を対比的に追っている。曲の特徴を列挙するだけではなく、曲の具体的な分析がほしいところだが、この二人の傾向を追うだけでも、日本の音楽界におけるブレヒト受容の多様性を知ることはできるだろう。
最後の、和田ちはる氏「アイスラーの晩年の創作活動にみるブレヒトの影響」は、ハンス・アイスラーがブレヒトの死後、その詩に基づいて作曲した「クーヤン・ブラクのじゅうたん職工たち」を、楽譜入りで詳細に分析する音楽研究者ならではの論である。これにより、アイスラーの目指す「詩から独立してそれ自身の姿勢をもった音楽」がいかなるものだったのかが浮彫りにされる。その他、本書にはブレヒトの手書き草稿、楽譜、ハンス・アイスラーの手書き楽譜など、貴重な資料が多数掲載されており、この面からも、文学と音楽のコラボレーションを体現したものになっている。
編者のねらい通り、本書はテクスト偏重のブレヒト研究に大きな修正を迫るものとなるだろう。