2009年8月刊『学力テスト体制とは何か』山本由美

「赤旗」2009年11月8日 評者 中嶋哲彦(名古屋大学教授)

 本書の内容は、「学力テスト体制とは何か」というタイトルから予想される範囲を超えて、全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育、教育バウチャー制度など、近年の教育改革メニューを幅広くカバーしている。これには理由がある。
 著者は、それらを新自由主義的教育改革を構成するパーツと捉え、それらがどのように連携し合い、公教育をどのように変えていこうとしているかを、足立区、三鷹市、前橋市や欧米の事例を織り交ぜながら考察している。そして、学力テストがそれらの要だという意味で、これを「学力テスト体制」と呼んでいる。
 全国学力テストに関する議論は、テスト結果の公表、指導改善への活用などのテーマに向かいがちだ。また、PDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルは、学校経営や学習指導の改善手法だと考えている人も少なくない。
 これに対し、著者は「学力テスト体制」を「国家が決定した教育内容にかかわるスタンダードの達成率に基づく、学校間・自治体間の競争の国家による組織を内容とし、エリートと非エリートの早期選別を目的にした、徹底した国家統制の仕組み」と捉える。
 このような理解は、これまで学力テストを狭く捉えていた人々には新鮮な認識の枠組みを提示し、一見バラバラに見える教育の諸事象を一つの総体として捉える視点を提供していると思う。
 第11章では、新自由主義的教育改革に対する対抗軸として、学校を基盤とする人々の合意形成や、相互の尊敬と共同の重要性が指摘されている。今後はこの対抗軸のさらなる精緻化を期待したい。その際には、新自由主義的教育改革の内部矛盾と、それを自壊へ導く戦略の解明にも、健筆を振るっていただきたいと思う。

 

「教育学研究」第77巻第2号2010年6月 評者 中嶋哲彦(名古屋大学教授)

 著者は近年、首都圏や海外で進められている教育制度改革に関する現状分析を精力的に行い、その成果を専門誌に掲載してきた。本書はそれらの論文の一部に、新たに書き下ろした数編を加えて刊行されたものである。
 このため、『学力テスト体制とは何か』というタイトルから予想される範囲を超えて、全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育、教育バウチャー制度などが幅広く取り上げられている。しかし、本書は、公教育にかかわる諸事象を単にコンパイルして見せているだけではない。著者は、一見バラバラに生起しているように見える諸事象をアセンブルすることで見えにくい一つの現実を描き出し、さらにその現実の進行を実践的に批判するための対抗軸を提示しようと試みている。
 著者は、全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育、教育バウチャー制度を、新自由主義教育改革を構成する要素と捉える。また、その中でも全国学力テストが要の位置を占めているという認識に立って、これらを「学力テスト体制」という言葉によって包括的に把握している。その際、著者は「学力テスト体制」を、「教育への市場原理の導入というだけでなく、『国家が決定した教育内容にかかわるスタンダードの達成率に基づく、学校間・自治体間の競争の国家による組織を内容とし、エリートと非エリートの早期選別を目的にした、徹底した国家統制の仕組みである』と定義」している(p.11)。
 こうした捉え方に対しては、著者が取り上げている諸事象はそれぞれ固有の問題領域を形成しており、「学力テスト体制」として一括することは適当ではないとの批判はありうるだろう。あるいは、それらの諸事象を新自由主義教育改革として捉えることには同意するとしても、それらを「全国学力テスト」に代表させ「学力テスト体制」と呼ぶことには議論の余地があるかもしれない。
 しかし、著者の意図するところは、近年における教育改革があまりにも脱政治的な視点で考察され、非政治的文脈で説明されていることへのアンチテーゼを提示することにあると思われる。
 全国学力テストの実施主体である文部科学省は、その実施目的を、(1)国による教育及び教育施策の成果と課題の検証と改善、(2)教育委員会・学校による自らの教育及び教育施策の成果と課題の検証と改善及び検証改善サイクルの確立、(3)各児童生徒の学力・学習状況の把握と教育指導や学習状況の改善、と説明してきた。このため、地方教育行政や学校教育の現場では、全国学力テストは学校経営論や学習指導論の文脈で把握され、収集されたデータをいかに活用するかという視点で捉えることが多い。
 また、文部科学省の意図するところではないかもしれないが、「競争による学力向上」といった主張に見られる競争主義・勤勉主義的な教育観を励ます役割も果たしており、全国学力テストへの参加や結果の公表が地方政治の焦点になっているケースも少なくない。
 このため、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育、教育バウチャー制度は即自的な意味での政治的対立構造を内包していると捉えられる一方、全国学力テストは非政治的な意味をもったガバナンスの文脈で把握され議論されることが多い。そして、全国学力テストが地方政治の焦点とされているケースはイレギュラーな事態として処理されている。
 こうした状況に対して、著者は本書を通じて、教育をめぐる諸事象をそれぞれの政治的文脈から再解釈し、新自由主義教育改革としての政治性を解明しようとしている。教育学の脱政治化とも言える状況が進むなかにあって、本書の試みは貴重である。
 また、第11章では新自由主義的教育改革に対する対抗軸として、学校を基盤とする人々の合意形成や相互の尊敬と共同の重要性が指摘されている。これは海外調査に基づく知見を示したものとして重要である。ただ、新自由主義の進行は、合意に基づいて共同を形成するための物質的・精神的基盤の破壊を内容とし、またそれによりいっそう加速されていく。今後は、新自由主義的教育改革の内部矛盾とそれを自壊へと導く戦略の解明が課題となるのではないだろうか。

 

「人間と教育」No.66、2010年6月号 評者 小佐野正樹(元・足立区立小学校教諭)

 「新自由主義教育」の実相を解明
 本書は2007年4月から始まった全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)が、日本の学校教育をどのように変質させたか、その全容とそれらへの対抗軸を明らかにしようとしたものである。単なる「調査」にすぎないものが学校選択制、学校二学期制、小中一貫教育等へと連なる「新自由主義教育改革」の中核をなし、「体制」と名付けられるに至った実相を、筆者は丹念に調査に裏づけられた事実に基づいて明らかにしている。
 この本の中にも度々登場する足立区の公立小学校の現場にいて、こうした「改革」の先駆けを目の当たりにしてきた私は、それまで教職員組合を中心に子どもや親とともに蓄積されてきた教育実践の成果が次々と破壊されていく背景に流れていた教育行政の意図を改めてとらえ直すことができた。当時、私の職場でも「特色ある学校づくり」の名のもとに「がんばる学校支援制度」(予算分配を通して格差をつける制度)や通学区域の弾力化、「道徳」一斉公開授業、二学期制の試験導入等々が管理職によって次々と持ち込まれ、その度にこうした施策が子どもたちにどんな弊害をもたらすのか、職員会議で議論したものである。その後始まった全国学力テストは、こうした真摯な教育論議さえも「学力向上」の名のもとに抑え込み、競争主義的教育をはびこらせるシステムをつくっていったのである。
 筆者は、学力テスト体制を「国家が決定した教育内容にかかわるスタンダードの達成率に基づく、学校間・自治体間の競争の国家による組織を内容とし、エリートと非エリートの早期選別を目的とした、徹底した国家統制の仕組み」と定義づけている。私も「学力テスト体制」という用語をしばしば用いてきた。それは本書が指摘する意味あいと基本的に重なるが、いくつかの点でそれ以外の内容も含めたものである。
(1)「学力向上」を至上命題にして、すべての教室のすみずみまで文科省による直接の管理を行き届かせ、教育内容・方法までのすべてを全面的に変質させた。
(2)「学力」を数値化したものだけに限定し、人格の全面発達という学校教育本来の役割を歪め、その結果、授業から「できた・わかった楽しさ」を奪っていった。
(3)テスト結果を公表し子ども・教師・学校をランク付けして、業績評価や学校選択制と連動させて競争主義に駆り立て、その結果、子どもたちや教師・親にとって学校が「みんなで育ちあう」場所ではなく、本音を出せない生きにくい場所にしてしまった。
(4)「授業時間確保」「順位向上」という強迫観念に追い込むことで、教師の自主的創造的な教育研究や教育活動を押し潰し、すべての学校の教育内容を学習指導要領どおりに従わせる仕組みをつくった。その結果、教師は膨大な事務量に追われ、教育活動の創造性が失われた。
(5)それらが生み出した危機的状況が顕在化すると、その原因をすべて子どもや教師・親個人の問題にして、真の原因である「教育改革」の失敗を責任転嫁した。さらに、特定の受験産業との丸投げ・癒着を深め、教育行政が本来果たされなければならない責任を放棄していった。
 こうして、いわゆる「読み・書き・算」の鍛錬や暗記に偏重する学習が強調されるようになり、とりわけ偏差値に縛られてきた中学・高校に対して比較的自由だった小学校教育に深刻な影響をもたらしたのである。
 なお、本書は教育行政学を専門とする筆者の視点から「新自由主義教育改革」の内実を解明したものである。したがって、筆者自身が「子どもへのダメージや教育内容面での改革については本書はラフなスケッチとなっている面は否めない」と述べているように、教育内容の側面からの論及には重点が置かれていない。この全国学力テストが実施されるずっと以前に、「学力低下」テーマにしたいくつかのシンポジウムで、少なからぬ研究者たち(とくに教育社会学関係の)から「学力低下が事実かどうか、客観的なデータを示すべきである」と文科省に迫る発言が行われたとき、私は今日の状況を予感して危惧したことを思い起こす。事実、文科省は全国学力テスト導入へとつき進んでいく際に、こうした民間側からの発言を巧妙に利用してきた節もみられる。かつて民間教育でも積み重ねられてきた「真の学力とは何か」という議論が、この全国学力テストをめぐる今日の状況のなかで改めて深められる必要を痛感している。個別化された教育学研究の個々からの解明とともに、「学力テスト体制とは何か」を明らかにする重層的な協同研究を期待したい。そのことが、さらに「対抗軸」としての国民的な議論の広がりを生むのではないかと思うからである。