2009年2月刊『新聞販売の闇と戦う』真村久三・江上武幸

「図書新聞」2009年5月9日 評者 米田綱路

 新聞社と販売店のあいだには、「押し紙」制度というきわめていびつな商慣行がある。実際の販売部数以上に、新聞社が発行部数の維持・拡大のために販売店押しつけている部数のことである。販売店のなかでも多いところは4、50パーセント、つまり販売部数の2倍の部数を押しつけられている。拒否すれば改廃、すなわち廃業するよう宣告される。販売店の生殺与奪の権はすべて、新聞社の販売局が握っているのである。
 販売店は、折込チラシの広告料を「押し紙」部数分、上乗せする。あるいは販売局からの補助金によって損失を埋めるが、販売部数に比して「押し紙」比率が高いと、それもままならずに赤字を抱え込む。結局は、新聞社の部数至上政策の強権によって、チラシの広告主に対して「押し紙」分の虚数部数で利益を出さざるを得ず、新聞社との「共犯」を余儀なくされる。
 真村裁判は、1000万部を呼号する読売新聞の実態を白日のもとに晒した。本書『新聞販売の闇と戦う――販売店の逆襲』は、読売新聞と販売店との攻防の記録であり、「押し紙」をとおして見た、現代日本における言論の自由の空洞化を示すドキュメントである。
 真村裁判については、フリージャーナリストの黒薮哲哉氏が『新聞があぶない――新聞販売黒書』(花伝社、2006年)で詳報した。2001年5月、読売の担当員が福岡県のYC広川を経営する真村久三氏を訪れ、販売区域の一部を返上するよう要求した。真村氏の販売店は約1700部を配達し、営業努力で「押し紙」もほとんどない優良店だった。それが、販売部数の三分の一近くを返上せよと求めてきたのである。背景には、地域の販売店主らを統括する隣接店が、YC広川の販売区域への割り込みを狙っていた事情があった。
 その要求に納得できない真村氏は拒否したが、読売新聞は販売店を潰しにかかった。真村氏は地位保全を求めて提訴し、裁判は2007年12月、最高裁が読売の上告を退けて真村氏の勝訴が確定した。だが、読売側は地位保全の司法判断を無視し、YC広川の改廃を宣告して販売店を奪い去ったのである。
 では、読売はどのようにして販売店を追いつめるのか。具体的な手口は本書に詳しいが、販売店の生命線である読者名簿を奪い取るか、応じない場合は新聞販売店契約更新しないと脅し、改廃をちらつかせる。YC広川の場合、読売は調査員を雇って同販売店の新聞配達員を尾行し、新聞の投函先を突き止めて、販売先をそのまま奪い取る。こうして店主交代へと追い込むのである。
 読者にとっては同じ読売新聞の配達員であり、なかなか問題の実像が見えにくいが、本書で明らかにされる「力の政策」は、新聞社との販売店の上意下達、主従関係を端的に示している。言論機関の下部構造には、言論の自由など存在しない。一方的な中央指令型の権力構造があるだけであり、販売店はそれに従わなければ生きることができない。
 真村氏の弁護人である江上武幸氏は、裁判の過程で、YC広川の販売区域をめぐる問題から、しだいに争点が「押し紙」と折込チラシ、補助金を柱とした新聞社ビジネスモデルそのものに移っていったという。そしてこう述べる。
「そのことに気づいた段階で、新聞業界の暗部、すなわち新聞社の虎の尾を踏んだことに気付いた。その意味では、真村高裁判決は、読売だけではなく、日本の新聞業界全体に、大きな打撃を与えたといえよう。新聞社がひたすら世間の目から隠してきた『押し紙』問題に、司法のメスが初めて入ったのである」。
読売側は、司法判断が出ても、いっこうに従う気配はない。1000万部死守という政策に抗う店主は、力でねじ伏せるという方針には変化がない。販売店が「押し紙」を拒否して、仕入れ部数を減らすよう求めても応じず、逆に新規読者の拡大を求められ、読者の減少は販売店の営業努力が足りないからだと、強制改廃を振りかざすのである。 
「押し紙」は、こうした力関係の証拠であるとともに、自然環境にとっては資源の無駄の象徴である。何よりチラシの広告主にとっては、だまし営業に等しい。だが、新聞社にとっては1000万部を維持する「見せ金」のような役割を果たしている。
真村裁判の過程で読売側がとった手口もまた、まっとうな報道機関がする行為とは思えない。同じ「押し紙」問題を抱え、ともに裁判を闘うはずの販売店主たちの切り崩しをはかった形跡がうかがえる。さらに、この問題を取材・報道する黒藪氏を相手取り、2008年2、3月に著作権侵害と名誉毀損裁判を提起したのである。フリージャーナリストに対し、揚げ足取りに等しい裁判を仕掛け、負担を強いることでペンを折らせようとする意図が明らかだった。
1000万部の呼号と、そのもとで常態化する「押し紙」の闇は、新聞社と販売店の問題であると同時に、マスメディアと一人のジャーナリストの問題へと発展した。にわかには信じがたいが、ジャーナリズムにかかわる人間が属するはずの新聞社が、言論ではなく"口封じ"の訴訟に打って出たのである。
 江上氏は「真村裁判を通じて、読売の本質を知り尽くした」と述べた。本書は、日本社会が抱え込んだ言論の自由の危機が、どのように進行しているかを明るみに出した。