2010年6月刊『レーヨン発展のかげで』興人八代・二硫化炭素中毒症被災者の会 編著

 

民医連医療 NO.462/2011年2月号

 「日本ではない」と言われていた二硫化炭素中毒を職業病として世に示したのは、熊本の興國人絹パルプ株式会社八代工場の労働者と熊本民医連の平田宗男医師であった。平田医師は同じ症状を有する人が複数以上いることを知ったことで、問題は工場にあると確信し、外国の文献を探し回ってある論文にたどりつく。そして、この論文を基に日本で初めて、脳血管障害型二硫化炭素中毒症の労災認定闘争がとりくまれた。認定闘争では、熊本移民連職員の調査活動も大きな力となった。その遺伝子は各地で実施されている水俣病健診に脈々と引き継がれている。新しい民医連綱領が決定し、各地で自らの実践を振り返り確信にするとりくみが繰り広げられている。原点をみつめ、必ず力になる書籍である。