2011年1月刊『日本国憲法の旅』藤森研

 

長崎新聞6月26日 読書欄

 長年、憲法問題を取材してきた元新聞記者による体験的憲法論だ。
 与謝野晶子の反戦詩「君死にたまふことなかれ」の源流を探り、中国残留孤児やサハリン残留朝鮮人の生きざまから、日本に侵略戦争以外の選択肢がなかったかを考える。住民投票や裁判員裁判を通じ、国民主権の具体化を跡付けていく。
 自衛隊や日米安保体制を肯定しつつ9条維持を求める世論調査結果を、「二枚舌」ともいえるが「国民の知恵」ともいえると記す。憲法に誠実に向き合おうとする著者の姿勢は一貫している。

 

北海道新聞4月17 評者 吉武輝子(評論家)

 わたくし(吉武)は「平和憲法を無傷で次世代に手渡したい」という強い強い志で結ばれていた土井たか子さんとは36年間13回の選挙を共にした。著者はこの本で、同じ志を持つものの肩を強く押してくれるとともに、護憲の立場にいながらいつの間にか目の中にため込んだ鱗(うろこ)を洗い流してくれる。
 著者は昨年まで35年間、朝日新聞記者として多くの取材に携わった。与謝野晶子の非戦論、戦争による離散家族、ナチスの絶滅政策、日本国内での市民主権の広がり-。それぞれの課題を追いながら「いつもどこかで」日本国憲法が気になっていて、思えば記者生活は「憲法の現場の旅」だった。そう述べる著者が、かつての仕事を再度検討しつつ、新たに論考をまとめたのが本書である。
 「人はなぜ戦争をしたり、集団的抹殺をしたりするのか」「どうしたらそんな人間の『さが』を克服できるのか」「非武装などという理想が今の国際社会で本当に可能なのか」。前半は9条をめぐっての思索が続く。
 日露戦争さなかの1904年、与謝野晶子は「君死に給(たも)うことなかれ」と反戦詩を発表した。与謝野の取材を進めた著者は、これがこの年、英紙「タイムズ」から東京朝日新聞に翻訳転載されたトルストイの反戦論文への呼応であったことを探り、そこに9条の源流を見いだしていく。20世紀は戦争の世紀でもあるが、戦争違法化の世紀でもあった。高度化、総力戦化しその被害が非戦闘員にまで及ぶようになり、パリ不戦条約から国連憲章へと発展していく。しかしヒトラーは人間の暗部を拡大して見せてしまった。それに加担した多くの普通の市民。人間が抱えもつヒトラー的暗部は、どうしたら克服できるのか-。
 後半は「国民主権への道程」として、ハンセン病取材を通して基本的人権を考え、天皇「崩御」報道を振り返り、憲法とメディアについて論を進める。そして本書をこう結ぶ。「日本国憲法を世界に活(い)かしていく歩みは可能だと思う」

 

赤旗 2011年5月1日

 この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要である。──2004年6月に出された「九条の会アピール」で、この一文は核心をなしている。まさに、日本国憲法を著者自身のものとして選び直した思索の記録が本書である。
 著者には、私は朝日新聞の読者として、その達意の文章に接していた一人にすぎなかったが、こうしてまとまった一書を手にすることのできた喜びは大きい。35年にわたる記者生活で出会った重い問題に、日本国憲法への好意的態度と確かな学問的素養をもって深く分け入り、しかも筆致はあくまで平明である。
 テーマは、九条をはじめ、国民主権、基本的人権、天皇制、そしてメディアの問題がバランスよく配置されている。2点、内容を拾っておこう。
 九条論が中心であるが、その淵源をめぐって、トルストイの反戦論を重視し、与謝野晶子の「君死にたまうこと勿れ」はそれへの反歌であったことを、資料的に跡付けている。また、両者がともに明らかにした「戦争被害の階級性」という視点が、日本国憲法前文につながっていることを指摘していて、興味深い。
 著者は、国民主権と矛盾する天皇制にも、正面から向き合おうとする。昭和の終焉時、天皇に戦争責任ありと述べた本島長崎市長へのテロ事件を取り上げる。右翼の脅しを言論封殺だとして自由論を展開する朝日社説は、しかし、ついに天皇の戦争責任には触れることをしなかった。こうした正論に隠された臆病さが市長を孤立させた、という。ジャーナリストとしてのこの言はは、重い。
 今日の時代閉塞の状況を打開するのは憲法の力であることを、本書は静かに教えてくれる。

 

共同通信 2011年4月

長年、憲法問題を取材してきた元新聞記者による体験的憲法論。
 与謝野晶子の反戦詩「君死にたまふことなかれ」の源流を探り、「中国残留孤児」や「サハリン残留朝鮮人」の生きざまから、日本に侵略戦争以外の選択肢がなかったかを考える。住民投票や裁判員裁判を通じ、国民主権の具体化を跡付けていく。自衛隊や日米安保体制を肯定しつつ9条の維持を求める世論調査結果を、「二枚舌」ともいえるが「国民の知恵」ともいえると記す。憲法に誠実に向き合おうとする著者の一貫した市制が伝わる。

 

週刊金曜日 2011年2月25日 編集部 片岡伸行

昌子とトルストイ 9条の源流をたどる 
「汝、殺すなかれ」「君死にたまふことなかれ」――憲法九条の源流をたどる旅は、トルストイと与謝野晶子とが同時期(一九〇四年)に書いた反戦の論文と詩の考察から始まる。同年二月に始まった日露戦争の戦火が広がる中、敵国同士の日本とロシアから放たれた良心の叫び、戦争を悪とする平和思想の光芒。晶子がトルストイ論文の掲載された『東京朝日新聞』を読み、共鳴して書いた「蓋然性がある」とし、著者は言う。「君死に……」は文豪トルストイへの「返し歌だった」。
『朝日新聞』記者として一九八〇年代に取材した中国残留日本人孤児問題。九〇年代後半にはドイツにヒトラーの足跡を追う。戦争と優生学、著者はそこに新自由主義という「力の論理」との結びつきを見る。労働現場やハンセン病をめぐる人権の闘い、コスタリカへの旅などの過程で、世界の中の日本国憲法の価値が浮き彫りにされてゆく。
 しかし一方で、自ら身を置いたメディアについては辛辣だ。「戦前と変わったのは憲法体制であり、変わらないのはメディアの体質だ」「変えていくべきはメディアの体質だろう」。
 二〇一〇年、専修大学の教員となった著者は学生たちとともに沖縄の地へ。この書での旅の終わりである。沖縄の海の青と相似形をなすようなゲリボルの丘に立つ戦没慰霊碑を引き合いに出し、著者が、レビンソンの戦争違法化論から「もうすぐ百年がめぐってくる」と書くとき、世界史におけるこの一〇〇年の、連綿と続く侵略と殺戮の血の色もまた想起されるのである。著者の旅は終わらないだろう。それは平和を希求する私たちの旅でもあるから……。敬愛する大先輩である。拙い書評にも、目を細めてくれんことを。

 

ジャーナリスト 2011年3月25日 関東学院大学教授 丸山重威

なぜ戦争推進になったか 「朝日の良心」を追う記録
15年戦争の始まりになる満州事変を契機に、「反軍朝日」といわれた朝日新聞をはじめとする日本の新聞は、揃って戦争を容認するようになり、やがて推進役となった。なぜそうなったのか。
 朝日新聞は07年4月から1年間、「戦争と新聞」の連載をした。著者は、キャップとして、社論転換の過程や、「どうすれば戦争を避けられたか」を問いかけた。
 新聞紙面では、関東軍の謀略を暴くか、朝鮮軍の越境を批判していれば歴史は変わったかもしれない、としながら、従業員や家族の生活、新聞社の存続を考えて軍部に抵抗できなかったと指摘し、「ペンを取るか生活を取るかはジャーナリズムとしての覚悟の問題に帰する」と書いている。
 著者は、憲法を念頭に朝日の第一線で現場取材を続けてきた。与謝野晶子の反戦詩、中国・サハリン残留者、ナチスの絶滅政策、憲法九条とコスタリカ、住民投票や市民の司法参加、ハンセン病、昭和天皇の死……。この取材体験が、収斂していくのがこの「戦争と新聞」だった。
 この本ではこの議論を紹介しながら、社論転換の要因を、長・中・短期に分け冷静に分析する。天皇制国家、言論統制、軍部、私企業だった新聞、国益への配慮、大正デモクラシーの限界、右翼による攻撃、国民からの孤立の恐怖……など。
 その通りだろう。だがそこでいま日本の新聞、例えば朝日は、その教訓をどう克服し、いまに生かしているのだろうか。
 「朝日の良心」の「一つの記録」でもあるこの本を読みながら、そんなことを考えた。