2012年9月刊『自由貿易神話解体新書 』関良基著

「林業経済」vol. 67, no.2 (No.787) 2014年5月(一般財団法人 林業経済研究所)評者:石井 寛(北海道大学名誉教授)

はじめに
4 月1日から消費税が8%に上がった。300万円程度の年金で夫婦2人が生活している家庭も「生活防衛」ということで、消費税が上がる前に大型店に消費財を買いに走った。一方、衆議院選挙の圧勝を受けて 2012年12月に発足した第2次安倍晋三政権は大企業優先の新自由主義的な経済運営を行い、日米経済協力を一層緊密にするとともに、中国封じ込めという狙いもあって、TPP交渉の早期妥結を目指している。
 安倍政権の農林業政策は2013年12 月10日に公表された「農林水産業・地域の活力創造プラン」にみることができ、農林水産業が安倍政権の成長戦略のなかに明確に位置付けられている。一方、安倍政権が推し進める農業政策に対し、北海道大学名誉教授の大田原高昭は雑誌「世界」4月号の掲載論文「協同の精神を失った農協改革であってはならない」のなかで、1) TPPの参加は関税ゼロの世界に導き、農林水産業の存立を危うくする、2) 大胆な規制緩和を行い、農業の担い手を家族経営から企業に移す、3) これまでの団体と補助金を柱にした農政手法を転換し、農協を弱体化させる、と述べている。
 このような時代状況のもとで、関氏が第2次安倍政権発足に先立つ2012年9月に本書を出版されたことは非常に先見性があったといわねばならない。本書の表題は『自由貿易神話解体新書―「関税」こそが雇用と食と環境を守る一』であり、安倍政権が推し進める経済政策の理論とは全く正反対の考えである。非常にラジカルな考えの提起である。ラジカルとは、「本質を深く根底的に掴むこと」をいうそうであるが、久しぶりにそうした本に出合った。目が覚める思いがした。
評者は学生・院生時代にスミス、リカード、マルクス、マーシャル、ケインズなどの経済学を自主ゼミで勉強したが、リカードの比較生産費説については、「我が国は資源が少ない国であるので、加工貿易は当然のあり方である」という常識を捨て去ることができずにいた。本書がどういう理論的背景と理由から、自由貿易ではなく、「関税」こそが雇用と食と環境を守るとしているのかを関氏の主張に即して、要約して紹介したい。

第1章 経済学と神話の信仰
最初に自由貿易に関する専門家と一般の人々との認識の乖離について述べている。特に興味深かったのは2010年11月に行われたアメリカ国民への世論調査の結果である(22~25頁)。
1) 自由貿易協定がアメリカに雇用を生むか、それとも雇用の喪失につながるかの問いに対して、雇用を生む8%、雇用喪失につながる 55%、変化がない24%。
2) 自由貿易協定がアメリカ人の賃金を上げるか、下げるかの問いに対して、賃金を上げる 8%、賃金を下げる 45%、変わらない 34%。
3) 自由貿易協定は途上国の人々に良いか、それとも悪いかの問いに対して、良い54%、悪い9%、大差なし23%。
 このようにアメリカ国民は自由貿易に対して、懐疑的であるというよりも否定的であることに注目すべきである。関氏はこうしたアメリカ国民の意見には正当性があり、自由貿易を肯定する新古典派のモデルが間違っているので、国民と専門家との間に認識の乖離が生じるとする(18頁)。
 ワルラスを創始者の一人とする新古典派経済学はニュートンの古典力学を模倣して構築された学問である。複雑な経済現象を把握するために、モデルを構築するが、問題なのは現実世界の現象よりも優雅な数学モデルのほうを評価する研究者が経済学では多いことである(31頁)。自然科学では信じられないけれども、経済学ではまかり通っているそうである。なお本書の38頁に「生活者として現実世界に根ざした女性たちから見れば、現実から乖離した意味のない数学モデルをもてあそぶ男たちなど滑稽でしかなく、それゆえ経済学には拒絶反応を抱いてしまうのかも知れない」と書かれていることは男には耳が痛い指摘である。
 その一例として、新古典派モデルでは、生産者は欲望の赴くままに利潤最大化を求めて生産し、消費者はこれを欲望のままに効用の最大化を求めて消費すれば、競争状態で均衡し、最適な資源配分が実現されるとする。関氏はこれをもちろん「ウソ」という。評者も年をとって、いささか人間理解が深まったこともあって、新古典派モデルの消費者としての人間理解は底が非常に浅いと思う。最近よく聞く「自己選択」、「自己責任」論もその文脈にある。
 関氏が本書の36頁で、「古典力学が扱う現象は非可逆的な歴史発展をともなわない時間可逆的な静的現象であるのに対し、経済学が扱う現象は時間と経路に依存した発展をともなう歴史的な現象である」という指摘は林業経済学や林政学研究に従事している方には、十分に留意してほしいと思う。歴史学派や制度学派が主張する方法論には十分に根拠があるのである。

第2章 自由貿易の神話と現実
リカードが提唱した比較生産費説は、2国間は双方が比較優位をもつ財の生産に特化して、他の財の生産を貿易相手国に任せ財を相互に貿易すると、双方に利益を得ることができるという非常に有名な貿易に関する理論である。しかし関氏はリカードのこの理論は、1) 生産費用が勤学的に変化しないという仮定、2) 生産されたものは全て売れるという前提、3) 資本や労働などの生産要素は国内に固定されるが、生産された財だけが国境を越えるという仮定を前提としている点で静学理論であり、誤っているとする(41~42頁)。
事実、アメリカの経済学者グレアムが1923年に農業と工業の生産費用の変化を組み込んだモデルで保護貿易の理論を提唱したことに注目すべきである。リカードは農業と工業とを問わず貿易する双方の国に利益が発生するとしたのに対し、グレアムは農業に特化するのは不利であり、保護関税を駆使して工業に特化する必要性を論証した(44頁)。工業は生産量の拡大によって収穫が逓増するのに対して、農業はその逆で収穫が逓減することはマーシャルが1890年に出版した『経済学原理』で述べている通りである。
このように現実はリカードの理論とは違って、農産物に特化した国が貿易損失を被る一方、工業製品の生産に特化した国は貿易利益を得る。現在問題になっている TPPとの関係でいえば、「日本のような工業国は貿易利益を受けるのだから、やはりTPP参加は良いのではないか」という意見も都市住民を中心に出ているが、関氏は農産物や天然資源には自由貿易の原理に適さない多くの理由があり、それゆえに各国は持続可能な資源管理を行うための諸規則を設けるべきであるし、農業を保護し、食料自給を維持する権利が認められるべきであると主張する。さらに貿易する双方の国がウィン―ウィン関係になるような貿易をすべきであって、貿易の相手国を困窮させるような攻撃的な輸出はすべきではないとする(57頁)。

第3章 関税自主権と産業保護をめぐる歴史的事実
 ドイツの経済学者であったリストは1841年に『経済学の国民的体系』を出版したが、彼はそのなかで国際競争力のない産業(幼稚産業)でも国が外国製品の流入を抑制しながら技術力を高めていけば、その産業の生産費用は低下して、十分な競争力をもつようになるとした(43~44頁)。
 現静岡県知事の川勝平大が1991年に出版した『日本文明と近代西洋』(NHK ブックス)によれば、イギリスの産業革命の背景には政府による産業保護政策があり、イギリスも輸入代替工業戦略の成功事例である(74~78頁)。
 ここで日本についてみることにする。江戸幕府が1858年にアメリカと結んだ日米修好通商条約では一般財の輸入関税は20%とされたのであるが、1866年にはイギリス公使のパークスの強い要求を受け入れざるを得ず、従量方式では一律に5%に引き下げられた。一方、明治維新政府が鉄鋼などの重工業を育成するためには関税自主権の回復がどうしても必要であった。日清戦争の勝利の結果、1899年に第1次の条約改正がなされて、関税自主権の一部が回復した。これを契機に重工業化を進めることができ、1911年に念願であった全品目の関税自主権が回復したのである。関税自主権なしでは日本における重工業化が困難であったことを歴史が教えている(79~87頁)。
 戦後の日本についてみると、1960年当時、輸入自動車に対して 40%という関税をかけて日本車を保護していた。現在からでは想像できないものの、高率関税で日本車を保護していたからこそ、トヨタ、ホンダ、ニッサンが産業的に展開できたのである。
 1980年代に入ると、アメリカ政府は日本の市場は閉鎖的であり、保護主義的であると「日本叩き」を始めた。アメリカ政府は日本の慣行をアメリカの慣行に従わせようとしたのが日米構造協議の内容である。関氏の理解ではTPPは日米構造協議の延長である。アメリカは日本が対米貿易赤字になるまで、アメリカ製品を日本に購入させようとするであろうし、それが実現しないならば、アメリカ政府が「報復の脅し」をかけ続けることが予想されている。

第4章 農産物貿易の自由化は飢餓と失業を生みだす
 改めて農産物に関して貿易の自由化を認めてはならない多くの理由があることを関氏は確認する。最大の理由は農産物貿易の自由化が人間の生命を直接、脅かすからである。農産物の生産は自然条件に大きく依存しているので、貿易自由化には適さない。さらにWTOにおいてすら、農産物は工業製品とは別のカテゴリーに分類され、農産物には暫定的に高い関税率が認められるなど、不十分とはいえ幾ばくかの配慮がなされていることに注目すべきである(103頁)。
 しかるにTPP においては農産物も工業製品も同列に扱って、例外なく関税を撤廃せよという。TPP においては万事アメリカ主導のルールが作られるから、アメリカにとって都合の悪い農産物補助金などは不問にふされる可能性が高い。
 ここで著名な経済学者である伊東光晴の主張をみておきたい。彼は農業生産の自然条件の差異は関税で調整すべきであると以前から主張している。特に自然条件が大きく異なる稲作と畜産はその差を関税で調整するという、戦後の国際貿易ルールを適用するしかないし、そうすべきであると論じている(115~116頁)。
 伊東の主張が正しいことは日本とアメリカ、オーストラリアの農業経営規模を比べると、すぐに理解できる。日本ではどんなに経営規模を拡大しても1区画10ha程度が精々である。それに対してアメリカの平均耕作面積は180ha、オーストラリアは3,400haである。このような著しい経営規模格差をみると、日本の農業は新大陸の農業には逆立ちしてもかなわないことは明らかである(117頁)。
 ここで貿易の自由化が工業部門だけではなく、農業部門の自由化をともなうと、途上国でも失業者を増やし、富裕化する層よりも多くの人々を困窮化させてしまうことに注意する必要がある。貿易自由化のプラス効果として都市部の製造業部門で生み出される雇用量より、農業を続けられなくなって不安定化して、都市に流入する元農民の数のほうが多い。多くの途上国では農産物貿易の自由化によって失業者が確実に増えている(119頁)。

第5章 自由貿易が生む環境問題
 ここでは自由貿易が引き起こす環境破壊の問題を取り上げる。この問題は関氏が最も得意とする分野である。
環境問題が社会的に注目されるようになってから、新古典派経済学による環境経済学が1980年代以降、創設されて発展してきたことは周知のことに属する。しかし新古典派の環境経済学では外部不経済効果に対しては環境税を課して内部化するという処方箋を許容しているものの、自由貿易が引き起こす環境破壊問題への取り組みは全く不十分である。
 まず熱帯林破壊の問題を取り上げる。ブラジルの森林面積の変化をみると、1990年から 2005年の間に森林面積は4,230万ha減少している。この間に大豆のプランテーンョンが1,266万ha増加しているので、単純計算でもブラジルの森林減少の約30%が大豆栽培面積の拡大で説明できる。一方、中国は1996年からWTO に加盟するための条件として大豆の輸入を開始した。1995年から2005年までに、輸入量は288万トンから 2,900万トンと10倍に増えており、中国は世界第1位の大豆輸入国となった(155~157頁)。
 このように中国をはじめとした途上国が大豆輸入を増やしたことがアマゾンにおける急激な森林破壊につながっていることに注目すべきである。さらにインドネシアにおける熱帯林破壊をみると、インドネシアの森林面積は1990年には1億1,657万haであったが、2005年には8,850万haと24%減少した。インドネシアでは、森林土壌に泥炭層が多く、ひとたび熱帯林を焼却すると、地下の泥炭層から CO2が大量に排出されることが知られている(158~160頁)。
 インドネシアの場合、森林破壊の最大の原因は油ヤシのプランテーションの拡大である。1990年の67万haから2005年の369万haへと5.5倍拡大した。一方、ヤシ油の輸入量を急速に増やしているのは中国とインドである。
 こうした状況をみた場合、もっとも低コストで人にやさしい方法で熱帯林を保全する方策は輸入国側の農業保護政策である。日本や中国、インドのように零細な土地所有構造をもち、それゆえに国際競争力のない国々が再び国内農業の保護政策に舵を切って、大豆や菜種油の国産化に努めれば、ブラジルやインドネシアにおける熱帯林開発圧力が消えることになる(161頁)。
 ここで新古典派の環境経済学が貿易による環境破壊をどのように扱っているかをみると、大半の教科書は貿易問題には口を閉ざして何もいわない、書かないという状況である(166~168頁)。新古典派の環境経済学は貿易の自由化も含めて、市場原理を是認した上で理論を構築しているので、こうしたことが生じるのだと評者は思う。
 そうしたなかで新古典派を批判する非主流派の経済学者には自由貿易に対して忌憚のない批判をしている者が多い。例えば、室田武・坂上雅治・三俣学・泉留維の『環境経済学の新世紀』(中央経済社、2003年)では、自由貿易の環境面での弊害と関税の必要性を訴えていることが注目される。
 先に述べたように、WTOは貿易する財を工業製品と農産物という2つのカテゴリーに分けているが、関氏は、適正な管理が必要な天然資源は自由貿易に委ねてはならないと考えるので、「WTOは新たに『天然資源』というカテゴリーも創設して、工業製品や農産物とは別枠で議論すべきである」と提言したことがある。国際的にも一定の反響があったとのことである(168頁)。

第6章 自由貿易への代替案
 ここで著名な経済学者である宇沢弘文の見解をみる。彼は必需性が高く需要と供給双方が価格に対して弾力性の低い財・サービスを生み出す希少資源は、社会的共通資本として政府が適切な額の財政的支援をしつつ、住民・市民や専門家などが協力しながら社会的に管理する必要性を論じている。農産物の場合、それを生産する農村そのものが社会的共通資本になる。家族経営の自作農からなり、生物多様性の高い里地・里山生態系を含む農村そのものを社会的共通資本として維持していかねばならないということである(191~195頁)。
 自然環境も社会的インフラも社会的共通資本である。これらが私的資本に転換されて商品化して市場原理による配分に委ねられれば、環境や暮らしが脅かされて、社会は不安定化していくこととなる。自由貿易主義と市場原理主義への代替案として、まず確認しなければならないのは社会的共通資本を私的資本に転換し、営利主義を導入してはならないということである。TPP に参加すれば、社会的共通資本にも容赦なく営利主義が導入されて、貧しい者は必需的な社会的共通資本のサービスを享受できなくなることは明らかである。
 自由貿易神話と原発安全神話はともに日本経団連や経済産業省が御用学者とマスコミを動員してつくり上げた「神話」である(209頁)。太平洋戦争の惨禍を通じて、「神話」が「虚構」でしかないことを多くの日本人が学んだはずである。過去の教訓を忘れたがるのは日本人の悪い面であると評者は思う。そうした意味では、今、日本人が試されている。

おわりに
評者としては、関氏が言いたいことを正確に要約できたかどうか、また積極的に提起された論点をフォローできているかどうかについて恐れている。ただ関氏の今回の本は主張点が明確であり、その論拠も明示されているので、読者は本を読むなかで、関氏と会話をしていただきたいと思う。関氏の主張点のどこが賛成であり、またどこが納得できないのかをはっきりさせていただければと思う。ゼミで取り上げて、皆で議論するのもよいと思う。
 評者としてはアメリカの経済学者グレアムの主張を知らなかったので、工業の収穫逓増と農業の収穫逓減を組み入れると、リカードの理論が瓦解し、リストの主張が正しくなるということを本書で知ることができた。一方、農地や森林は字沢氏のいう社会的共通資本であるが、それらの多くは私的所有になっており、すでに「私的資本」であることをふまえた上で議論されることが望まれる。
(花伝社、2012年9月、219頁、1,620円)

 

『毎日新聞』2012年12月23 日付
 反グローバリズム、反新自由主義などを掲げてTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を批判したり、保護主義的な主張をしたりする論者が目立っている。論壇で活躍するこの系統の中堅・若手は、評論家の中野剛志ら保守を自任する人物が多い。そんななかで珍しく「左」的な傾向の論者による反自由貿易論だ。
 著者は林学研究者で、フィリピンの熱帯林での地域再生などを論じてアジア経済研究所から賞を受けた。中国の農村にも詳しい。本書は、「自由貿易の徹底で誰が苦しむのか」を、自由貿易を支えるいわゆる近代経済学の理論を批判しつつ論じる。自身の専門に絡む、農産物がいかに自由貿易になじまないかの論証は明快だ。中国で今も残る農地集団所有制を評価するのも興味深い。
 要するに、本書は全体として、国民国家の枠を超えた下層労働者擁護論を展開している。文中に散見される、近代経済学者に対する、ののしりに近い表現には違和感を覚える人もいるかもしれない。これは、「学界ムラ」に安住していると著者が感じる人々に、目を覚ましてほしいと期待するがゆえの愛のムチか。ぜひ、経済学者の反論が読みたい。(生)

 

林経協季報『杣径』No.27 2012年12月
 総選挙を前にTPPへの賛否両論が根拠なくTVで飛び交っている。関良基著の『自由貿易神話解体新書』(花伝社)は、賛否の論拠がどこにあるのか分からず、判断の論拠が欲しいと考えている人には必読の書だ。
 著者は林学の専門家である。しかし、「『専門分野の事は専門家に任せよ』という言説は明確に誤りである」というスタンスで、経済学が扱ってきた自由貿易信仰や神話を一つひとつ取り上げ「解体」する。フィリピンの熱帯林保全や中国の森林再生を研究した結果、「破壊の最大の要因は自由貿易にある」との結論に到った人物だけのことはあり、新古典経済学(ミクロ経済学)などで使われてきた机上のモデルが現実社会といかに合わないかを丁寧かつ明確に論じていく。
 環境経済学でも、適正な資源管理のための貿易規制という提案が前向きに検討されたことはなく、例外的に扱った例ですら、アマゾンの熱帯雨林の破壊は国内政策の結果であり「輸出とは何の関係もない」と言い切ったと批判する。経済学の各分野での論じ方を総合的に学びながら、著者の視点も読み取っていくことができる。
 また、自由貿易原理主義そのものに反対、WTO支持・TPP反対、WTOにもTPPにも賛成、という三つの立場とそれらへの賛否の論拠も明確に説明され、その論拠に視点を固定して、マスコミの論調も紹介されるため、経済学に詳しくない者でも、なるほどそうかと理解が進む。(杣径編集担当)