2013年11月刊『諭吉の愉快と漱石の憂鬱』竹内真澄著

『市民の科学』( 京都社会文化センター附置機関市民科学研究所、2014年7月)

竹内真澄著『諭吉の愉快と漱石の憂鬱』(花伝社 2013年)を読み解く
大関雅弘(四天王寺国際仏教大学、社会学)

 
 この著作では諭吉と漱石が取り上げられているからといって歴史な人物研究ではない。竹内さんの視点は、あくまで現在にある。現在の日本社会に流れ込んでいる近代の明と暗を、幕末から明治期の2人の傑出した人物にそれぞれ読み込むのである。すなわち、「日本近代化の開拓者」である諭吉の愉快な魂と「日本近代化批判の開拓者」としての漱石の憂鬱な魂である。この2つの魂を対比的に用いながら日本社会を認識することに活かすことで、日本社会が陥っている隘路を乗り越える糸口を竹内さんは模索する。したがって、本書で設定されているテーマは複雑で難しい。竹内さんはそれを軽妙な語り口で、読者に読みやすい書物に仕上げている。かなりの力量である。ただし読みやすいのでポイントをつかみ損ねる恐れもある。本稿はそれを多少なりとも補うことができればと思い執筆したが、実際には筆者自身の観点が表に出すぎてしまい、かえって分かりにくくなってしまったかもしれない。こういう読み方もあるあるのかという参考にでもしていただければ幸いである。
さて、本書を読み解くにあたって、その前に少しだけ竹内さんの学問・研究史的背景にふれておきたい。竹内さんと私の交流はかれこれ30年以上になるが、ともに1954年生まれである。竹内さんは高知、私は北海道(札幌)の出身である。すぐあとで述べるように、われわれ2人の学問的な問題関心は、かなり共通している。違いもあるが、たぶん両者の生まれ育った風土も関係しているように思われる。あの坂本竜馬を生んだ土佐の"いっごうそう"気質の風土で、社会において自分(人間主体)は何をなすべきかという理想を追究する竹内さんに対して、開拓使以来脈々と続く官の優位が支配的な風土で、上からの制度化という社会システムに適応を強いられる自分(人間主体)のあり方を究明したいと考えるのが私である。どちらの場合にも、「個人」がキー概念となる。それには理由がある。ともに社会学専攻であるが、社会科学を踏まえて社会学を研究しようとする点で共通していることから、問題関心が似てくることになった。
 われわれが学問研究を始めた1970年代から自らの研究課題の方向が定まってきた1980年代、社会科学の領域では階級論と市民社会論との統一的な把握について課題になっていた。またそれと重なる形で社会学においても、構造論的視角と行為論的視角との理論的接合が課題であった。2つの課題において、それぞれ両者をつなぐ環として「個人」に焦点をあてる一つの潮流のなかに竹内さんも私もいたのである。その後、大学に職を得て、少し落ち着いた1990年代の前半、自分たちが学生の頃には常識であった(と思っていた)社会認識が学生たちに通じないことが分かってきた。疎外論・物象化論的な論法では、学生たちに響かないのである。たんに学生の学力や理解力の不足に解消される問題ではないことは明らかであったが、その正体がつかめなかった。そうしたなかで竹内さんの模索が始まったように思う。その一つが、文芸→思想→社会科学(社会学)という流れで社会認識を行うというスタイルであった。その最前線に位置するのが本書なのである。
* * *
 第Ⅰ部「生い立ちゆえ」では、諭吉と漱石の生い立ちを追うことにより、両者が置かれた境遇からそれぞれの「固有の物の見方(視座構造)」(35ページ)、すなわち前者の「近代化的な視座」と後者の「近代批判の視座」が生み出されたことが述べられる。そのポイントは、諭吉の場合には自分の暮らしを自分の才覚で切り開く「活計」(36ページ)にある。竹内さんは次のように問う。「『活計』という言葉を幕藩体制にも自由主義経済にもどちらにも使えたということは一体どういうことだろうか」(37ページ)と。これに対して「諭吉はどの場合でも『活計』を豊かに持つ側にあって、いわば持てる側のイデオローグ」(同上)であったからだと答える。ここに依拠して竹内さんは、「啓蒙精神の『自由・平等・自立』のとくに『平等』というものが諭吉の思想には抜け落ちている」(同上)ことを指摘し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という『学問のすゝめ』冒頭の有名な文章に続いて「言えり」が付いていることに注意を喚起する。つまり、諭吉は「人間は平等だといっているのではなく、法の下では人は平等ではあるが、『されども』実際には、貴賎貧富の差のある階級社会が生まれること」(39ページ)を説いているというのである。諭吉は、18世紀の啓蒙思想にではなく、19世紀の産業社会論に与していると竹内さんはみる。
 これに対比したとき、漱石はどのように把握することができるのか。端的に言うと「『自己』探求」(46ページ)である。佐幕派から出発した諭吉と漱石に違いが生じた理由を竹内さんは3点にまとめている(35ページ)。第一に、「32年の歳の差」であり、「近代化のレールを敷くのと、敷かれたレールを歩かされる」違いである。第二に、「近代化に占める家族の階級的なポジション」の違いである。「譜代下っ端侍から幕府内で出世して、明治においても上昇過程を辿った諭吉と、没落名主の子の世代で、知識労働者への下降過程位置した漱石が見たものは、およそ正反対のものであった」。第三に、「近代化の段階」の違いである。「明治近代化の『坂の上の雲』をみて出世できた諭吉と一旦敷かれたレールで狭くなる可能性の中でもがいている漱石とでは見ている景色はまったく違うのだ」。かくして、竹内さんによれば、「一身にして二世を経る」という諭吉の名言の「二世」は、諭吉の場合には「封建制から近代へ」であるが、漱石の場合には「日本近代化から近代の矛盾の深化へ」と捉えることができるというのである。
 ここで竹内さんは、「近代社会で自分と社会をつなぐ職業」(48ページ)に注目し、近代人に特有の職業選択というテーマに結びつけて漱石の悩みを考察する。社会という大車輪に個人という小車輪は、職業を通して適応しなくてはならないが、そもそも個人と職業の間には齟齬が存在する。実際に漱石は、英語教師という職業が好きではなかったが勤めざるを得なかった。それだけではない。大車輪を創るのに力を発揮した諭吉は愉快かもしれないが、その大車輪がますます速度を上げるなかで苦闘せざるを得ない小車輪の立場にある漱石にしてみれば不愉快極まりない。だから漱石は、「時代の速さに苦しみ、速さを対象化するためには、機を見て敏な賢さを捨てなくてはならない」(51ページ)と考えたのであり、「彼がなすべきことは自分流を防衛するために、自己喪失を強いる時代と闘うことになった」(52ページ)。こうして竹内さんのみるところ、漱石は、ほぼ50年の人生のうち35年を「『自己』の発見」に費やし、残りわずか15年で「『自己』の展開」を図ったのである(46ページ)。
* * *
 第Ⅱ部「個人とは何か」に移ろう。ここでは第Ⅰ部を踏まえて、諭吉の「独立自尊」と漱石の「個人主義」が個人の独立を説く点で共通してはいるものの、その意味内容がまったく異なることを明らかにしていく。竹内さんはまず、諭吉の思想が要約されているとされる「一身独立して一国独立する」を特殊歴史的に解釈しなければならないと述べる。すなわち、この文は「個がしっかりしていれば集団もしっかり育つというような歴史貫通的な意味ではない」(56ページ)。ここで言う「一身独立」とは「特定の歴史的な基盤を持ち、男性、財産家、健常者に限定される私権の独立を指す」(同上)のであり、上記の文は、「私権に基づくブルジョア社会の構築が立国の基盤であるという意味」(57ページ)なのだというのである。したがって、「独立自尊」に表現されている個人論は、「資本家主導の平民社会のヘゲモニー論」(58ページ)と解すべきだというのである。
 これに対する漱石の個人論を竹内さんは、『私の個人主義』の解釈から説明する。すなわち、この本の前半では、漱石が「自己本位」という語に辿りつくまでの30数年間の経過を述べ、「およそ人間が『自己本位』を認めるとすれば人真似で生きることは生きるに値しない」(69ページ)という結論を聴衆とともに共有したうえで、後半では現実社会の「金力と権力に話題を移す」(同上)。すなわち、「上流社会/貧民という階級社会では、権力側の人々は権力と金力とで自己の個性を尊重できる。しかし、貧民の個性の拡張は毫も認められていない。すなわち、万人の『自己本位』は階級社会と相容れない。金持ちは自分のことのみを尊重し、しかも自他の区別を消そうとしがちだ。だから『自己本位』を尊ぶならば、上流社会は貧民を配慮する義務を負う」(71ページ)として、階級社会批判を行っているというのである。「個人主義を貫徹するために資本主義と対決しなくてはならない」(72ページ)と漱石が考えていたことを竹内さんは強調する。だから、『私の個人主義』における「自己本位」の概念には近代批判という漱石の「鋭い牙」(76ページ)が存在している。しかし竹内さんによれば、この点が「従来のスタンダードな漱石論には見事にかけている」(同上)というのである。なかなか鋭い指摘である。
 以上にみた両者の個人論について、諭吉の場合を「私権的個人主義」(81ページ)、漱石の場合を「自己本位的個人主義」(83ページ)と竹内さんは特徴づけ、それぞれを西欧の思想史との連関においてとらえる。竹内さんは、西欧の自由主義を「17世紀のT・ホッブズ、J・ロックからA・スミスを経て、19世紀初頭のJ・ベンサムの功利主義へ至るくらいまでを古典的自由主義」と「1830年代から登場するものを自由放任主義」の2つに区分する(79ページ)。また、「1870年代後半に入ると自由主義は自由放任主義と社会的自由主義の2つのグループへ分裂してゆくことになる」(同上)としている。このように自由主義の流れを捉えたうえで、諭吉が現地視察で触れたのは分裂前のイギリスの自由主義であり、しかも諭吉の思想は古典的自由主義の系譜から自由放任主義の系譜への色彩を強め、H・スペンサーを愛読するに至ると位置づける。こうして、諭吉の「独立自尊」は私権論に基礎づけられているが、その「私権論は権利論として通用するが、それ自体が男性中心、金持ち中心、競争原理万能、反福祉国家を意味する」(81ページ)。竹内さんの諭吉をみる眼はかなり厳しい。
 これに対して漱石の西欧思想史との連関はどうであろうか。漱石の思想形成は、1870年代の自由放任主義と社会的自由主義の分裂のかなり後であるが、この分裂をイギリス功利主義思想に即して竹内さんは説明している。すなわち、「利己心の大枠を擁護し、市場の媒介的な働きがなお有効であると主張する」旧派に晩年のスペンサーや慈善組織協会が属しており、他方「利己心を根本的に考え直す」新派として社会的自由主義と社会主義の勢力がある(94ページ)。この社会的自由主義は、「利己心をなんらかの形で再編して福祉国家的な社会構成に沿うものに改革できるはずだ」(同上)という思想であるが、その理論的リーダーであるホブハウスに漱石の「自己本位的個人主義」の形成を竹内さんは結びつける。筆者のみるところ、ここが本書の最大の山場である。
 * * *
 竹内さんが本書において最も究明したいことは何か、それは「個人主義」(「自己」)と「利己主義」(「利己」)との違いについてである。その前提には、諭吉の「私権的個人主義」は「利己主義」であり、それとは異なる「個人主義」を漱石から析出しようとする竹内さんの意図があることは言うまでもない。この相違を漱石の一連の著作を通して次第に「自己本位的個人主義」が漱石において確立されていく過程のなかで描かれる。『坊ちゃん』(1906年)では「漱石でさえ最初はごく月並みな個人主義」、すなわち「それがよい意味で自己を大切にすることで、悪い意味で利己主義」という把握しか見られない(89ページ)。ここではまだ「自己=利己」という把握、もしくは両者の区別が曖昧であるとみる。『三四郎』(1908年)には「自己本位」という言葉は出てくるが、「『度を越さぬ利己』が自己本位」と理解され、「けっきょく『利己』と『自己』の境界を分析できないまま終わっている」(91ページ)。
 竹内さんによれば、この時期に漱石は「『自己』が『利己』と一体化しているのはどうしてかという問題を探るために、近代西欧社会思想史における主観の誕生を追いかけている」(92頁)。その結果、「西洋流の利己(功利主義の伝統理論)」を再編させる方向性を理論的に打ち出している「社会的自由主義の『理性的利己』(ホブハウス)」や「社会主義」に漱石は急接近したというのである(96ページ)。具体的には、ホブハウスのほかにも、「功利主義からの離脱を示す」(184ページ)社会的自由主義の社会学者・哲学者であるルトゥルノー、キッド、クロージアらの著作に精力的に取り組み(彼らを通して漱石はマルクスの「剰余価値」や「独占」の概念も知っていたという)、「漱石は個性individualityの発展と利己主義の関係を社会史的に理解できる準備」(99ページ)ができ、「個人主義(自己)を利己主義(利己)から切り離すことができるようになりつつあった」(同上)のではないかと竹内さんは推論する。
 それが漱石の著作に反映されることになった。『それから』(1909年)、『門』(1910年)では、「『自己』と『利己』の境界はまだ明確ではない」(104ページ)。転換点は、講演「道楽と職業」(1911年)の次の文章にあると竹内さんはみる。すなわち「科学者哲学者もしくは芸術家の類が職業として優に存在し得るかは疑問として、是れは自己本位でなければ到底成功しない事丈は明らかな様であります」という文章に注目し、「ここで『他人本位』から区別された『自己』の防衛が自覚されてきた。しかも概念的に『自己』が掴まれるとそれは『利己本位』からも区別されていくことになった」(同上)というのである。こうして、「利己主義は『行き過ぎた個人主義』であるというような量的な問題ではなくな」り、「『自己本位』はネガティブな意味での『利己主義』から区別されうる積極的なモメントとして純化」してきたというのである(同上)。これを踏まえて『私の個人主義』(1914年)において、「『金力権力本位の社会』を牛耳る上流社会の利己主義を貧民の側の『自己本位』から批判することができた」(同上)と竹内さんは結論づけるのである。ではその後、これはどのように展開するのであろうか。竹内さんは、第Ⅳ部「社会認識」において、これを漱石の思想として結論的にまとめあげている。
 * * *
 第Ⅳ部は、諭吉と漱石のそれぞれが歩んだ思想の展開について、竹内さんからみた結論が述べられている。諭吉については、「佐幕派から転換した後の諭吉は、西洋派に変身したとは言え、社会矛盾がいよいよ激烈になるにつれて西洋化を採用しながらも、西洋文化を手段化し、日本独特の体制の構想を次々に打ちお出し、しかも欧米帝国主義の手法を踏まえて大東亜共栄圏の萌芽を構想する地点まで到達した」(228‐229ページ)とまとめている。先にみた諭吉の「私権的個人主義」が市民的(ブルジョア的)自由主義を経て帝国主義と超国家主義に至り「大東亜共栄圏の萌芽」にまで行き着くことを竹内さんは執拗に追いかけるのである。それは、「おわりに」にあるように、「私権的個人主義の現代的バージョンである新自由主義」(255ページ)に対する危機感によるものである。
 漱石についてはどうであろうか。先ほどの「自己本位的個人主義」の議論にもどろう。竹内さんは、「自己」に関する漱石の論理あらためて3つの系列として類型化する。第1は、「近代社会における利己と利己との闘争である」(210ページ)。「近代社会は、表層ではホッブズ的な市民社会」(213ページ)なのである。第2は、「『利己』の抽象的対極としての『自己』の論理である」(211ページ)。近代社会への抵抗の根拠として、「世俗を超越的な理念から撃つ」ための「理念」の核心として「自己」の概念が漱石に固まってきた。「他者との相克を宿命化してしまう『利己』と他とともに生きていく『自己』は全然別のものである。だから、市民社会でゴッチャになっている『利己』=『自己』を分けていくことで」、論理的に「『自己』が得られる」(同上)。これによって、「『利己』に限界があることを『自己』から描けるようになった」(213ページ)が、しかしこの理念的に捉えられた「自己」を担保するのは「知識人による自己反省でしかない」(212ページ)という弱点がある。そこで、第3は、「『自己』を近代社会の重層的な構造から引き出す段階」(213ページ)であり、「その最高の到達点」である『明暗』(1916年)では、「『自己』発生の可能性は近代社会の構造内部にきちんと置かれるに至る」(214ページ)のである。すなわち、「漱石は小林という階級的な底辺をさまよう人間を津田と並ぶもうひとりの主人公に据え、貧人の立場から上流社会の『利己』的人間を階級的に攻撃させるのである。こういうかたちで漱石は、近代社会の表層でもなく、知識層でもない、いわば底辺層の叫び声を作品の中に導入し、ここに第三の論理系列が構成されてきたのである」(215‐216ページ)。
したがって、「市民的『利己』と対抗するのは、頭の良い知識人ではなく、階級的『自己』の抗いなのである」(218ページ)。
 じつはこの竹内さんの結論には、漱石の「第二フランス革命」の議論が大きくかかわっている。竹内さんによれば、先の社会的自由主義者たちを読解することにより、「封建制を廃絶し近代をつくった市民革命が資本主義の生み出す近代的不平等の出現によって意味を失う」ことを学び取った漱石は、「フランス革命は対資本主義capitalism闘争としてやり直さねばならない」と述べたが、これが「第二フランス革命」論である(192‐193ページ)。これについて、漱石が「社会主義革命」と言わずに「第二フランス革命」と位置づけたのは、「社会主義というのは漱石にとって近代革命の原理念の徹底としてはじめて意味を持つもの」と考えていたからであると竹内さんは推測している(193ページ)。こうして、漱石の思想に対して竹内さんは次のような結論を出す。「『自己』というものはたんなる人格、個性、その人らしさなどというものよりももっと根源的な何かである。それは世界史的近代を照射できる光源であって、資本が主体となって動かしている世界をカッコに括ることのできる最も深い審級なのである。『利己』は世界に振り回される。しかし、『自己』は、この世界を止め、組み換えることさえできる」(239ページ)。竹内さんは、現代社会にける新自由主義による危機を前にして、「『第二フランス革命』の内実を持ちうるところの、『利己』から『自己』への概念的転換に基盤をおいた、『自己本位的個人主義』の徹底であるような社会主義」(254ページ)で対抗しようとするのである。
 * * *
 最後に少しだけ筆者の感想を述べたい。何よりもまず、竹内さんが自らの主張の論理的根拠を明らかにするために、諭吉の『学問のすゝめ』および漱石の『私の個人主義』に対して従来の解釈を超えていく理論的な意欲の旺盛さには驚くばかりである。本書を読んだ者は、自らの諭吉像もしくは漱石像に多少なりとも変容を迫られることになろう。また、スペンサーらの社会進化論やホブハウス、ルトゥルノー、キッド、クロージアらの社会自由主義の著作を同時代的に日本の言論・思想界において捉え、描き出している点もすごい。幕末から明治期の知識人たちが貪欲に西洋の書物を日本に活かそうとする姿が伝わってくる。こうした知的な迫力は、「利己主義(利己)」と「個人主義(自己)」の区別というテーマが現代社会を認識するうえで竹内さんにとって如何に重要であるのかということに由来するものであろう。
 そのうえであえて私の率直な疑問を述べるとするならば、「利己主義(利己)」と「個人主義(自己)」の区別があまりにも規範的に導き出されているのではないかという点である。3つの系列として挙げられている第1類型に対して第2類型が規範的であることは、知識人の「理念」として竹内さんも述べている。その第2類型に対して、第3類型は「近代社会の重層的な構造」から引き出されるとされるが、「底辺層の叫び声」として描かれる「下層」に対する竹内さん自身の「理念」がそこには存在しているのではないだろうか。「『金力権力本位の社会』を牛耳る上流社会の利己主義を貧民の側の『自己本位』から批判することができた」という気持ちはよくわかるのであるが、だいぶ判官贔屓が入っている論理で社会科学的に納得を得るのはやはり難しいのではないだろうか。どうしても、「個人主義(自己)」は善で、「利己主義(利己)」は悪であることが論理的に前提されていると言わざるを得ないのである。
 そもそも「自己」と「利己」とを区別できるのかというのが筆者の立場であるからそう思うのかもしれない。私の考えでは、「自己」も「利己」も<self>もしくは<ego>であるが、それが他者との相互行為によってコントロールできない場合に「selfish(わがまま)」、「egoism(自己中心主義)」になってしまうという理解である。ただし、これを諭吉や漱石に当てはめることはできない。なぜならば、彼らに本来の意味での「他者」が存在しないと考えるからである。本来の意味での他者とは、具体的な2人称としての他者のことである。漱石の他者(他人)は、3人称的であるか(日本的な意味での「一般化された他者」)、もしくは3人称的な考えが2人称を通じて表現される(世間の常識が母親を通して娘に伝達される)と言えないであろうか。漱石が「他者本位」でなく「自己本位」を説くとき、それは直接的には「世間」のしがらみから離脱した「自己」のことではないのであろうか(もちろんその「世間」の背景に「金力権力本位の社会」が存在しているのではあるが)。本書を読んでつくずく思ったことは、諭吉のみならず漱石においても、「自己-他者」関係に基づく関係の形成が欠如していることである。ただ、日本社会を見回したとき、そんなことを言っていられない「バラバラにされた個人」の世界が広がっている現実があるのかもしれない。
こんな具合に本書は「自己」について現代的にいろいろ考えるうえで最適である。本書をまだ読んでいない方にぜひ一読をお勧めする。また一度読んだ方には、もう一度違う観点から読まれることをお勧めしたい。