2015年8月刊『ある戦時下の抵抗』岩倉博著


『図書新聞』2016年8月6日  評者:三輪智博(現代史研究)


 昨年の安保法案反対運動を一つの頂点に、「反ファシズム」が八〇年の時を越えてアクチュアリティを取り戻した。一九三〇年代のヨーロッパを中心に、ナチズムやファシズムに抗して文化の自由を守ろうと、多くの知識人たちを結集させたこのスローガンが、現下の日本で現実味を帯びているのである。そんないまこそ、哲学者・戸坂潤(一九〇〇〜四五年)たちが三〇年代に繰り広げた反ファシズムの闘いが、新たに読み直されるべきである。本書はその意味でもタイムリーな一書だ。ファシズムと戦争に抗した戸坂たちの「身構え」(著者)が、みごとに浮き彫りにされている。戸坂と彼をめぐる哲学者群像、そして彼らの反ファシズムの思想と行動が、ページ上に鮮やかな像を結ぶような読後感を覚える。
 戸坂潤の闘いは、何よりその科学的精神の貫徹にもっとも顕著に表れている。一九二〇年代、若き日の戸坂は、科学のもつ合理性・論理性・唯一性と、現実生活における人間の経験と知識を統一することを、知性の不可欠の要件であると考えるところから哲学を出発させた。一九二九年に上梓した『科学的方法論』で彼は、よく知られる「空疎な興奮でもなく、平板な執務でもなくして、生活は一つの計画ある営みである」という書き出しから、現実世界の問題解決の手段としての、根底的な批判性をもった科学的方法論を展開した。それは実践生活の方法としての学問である。そして満洲事変以後、非合理的な風潮が加速化する時代への、戸坂の科学的批判のあり方が、三二年の唯物論研究会の発足へとつながっていく。
 戸坂は唯研の中心メンバーとして、会の研究・運営を組織し、盛り立てた。三七年の解散まで、唯研は戸坂にとって反ファシズムの方法論と実践の場であったことが、本書から明瞭に読みとれる。
 興味深いのは三三年の小林多喜二虐殺、滝川事件、佐野・鍋山獄中転向声明といった国内の動きとナチスの政権掌握、焚書事件など国外の動きがクロスするなかで、日本の文化人が「学芸自由同盟」を結成し、それに危機感を抱いた内務省警保局が逮捕を加速させ、唯研から逮捕者、退会者が続出する影響関係と、それに対する戸坂の身構えである。
 この時期、大恐慌以後の資本主義的危機、ソ連の社会主義建設などを受けて、生産力と技術の問題が論壇の焦点になるなかで、戸坂は技術と社会、科学とイデオロギー、インテリゲンツィアの問題を統一的・全体的に把握する哲学を追究した。『技術の哲学』はその一里塚だが、三四年に「思想不穏」のかどで法政大学文学部教授を解雇されたことによって、戸坂はジャーナリズムの世界に活動の重心を移すことになる。「この解職は戸坂家にとっては不幸であったが、唯研にとっては戸坂の全知能・全エネルギーを「独り占め」する絶好の機会」だったと著者は述べる。
 改めて注目されるのは、学問とジャーナリズムを貫く、戸坂の科学精神のありようだ。戸坂はジャーナリズムについても数々の評論を行ったが、同時期に取り組んだ道徳論にも、同じ身構えが見られる。一九三四年、治安維持法改正案が国会に上程され、国民道徳の名のもとに道徳律を固定しようとする動きが強まるなかで、戸坂は道徳を批評の俎上にのせた。教学的な国体道徳を前に、知性と批判精神が後退する一方の状況下で、道徳とは科学的概念が人間に一身化され、感覚化された生活意識であると、反ファシズムの道徳を捉えたのである。唯物論の観点から繰り広げた、戸坂の身構えの一端が、ここにも顕著に表れている。
 そうした戸坂の唯研と批評活動と、京都の反戦・反ファシズムの思想文化運動、雑誌「世界文化」や「土曜日」の批評活動との並行性にも目を引かれる。著者は唯研や京都の紙誌に集った知識人たちの動きを、生き生きと伝えている。その記述は、日本の反ファシズム人民戦線の文化形態を映し出した、本書の白眉である。
 それにしても戸坂の身構えの的確さ、科学的精神や合理性と人間味とが同在する人物像には、余人に代えがたい魅力がある。三五年の『日本イデオロギー論』、三七年の『世界の一環としての日本』をはじめとして、ファシズムの進行に対峙する明晰な哲学は、精神の古典的形態として色あせることがない。執筆禁止と逮捕の苦境、それにもかかわらず保釈後も時代に抗する「百科全書」的な出版を構想し、英文雑誌「グローブ」を企画した戸坂の動きなど、著者はさまざまなエピソードを拾い集めながら、それらを丁寧に跡づけている。
 「唯研が活動した八〇年前と今とが、本質的に同じであろうがなかろうが、現にある「現実」を踏まえて考え行動した彼らの生き方こそ、われわれが学ぶべき点であろう」と著者はいう。哲学者の戦時下抵抗の新たな評伝として、一読を薦めたい。