2015年10月刊『K―消えた娘を追って』ベルナルド・クシンスキー〈著〉

『朝日新聞』2015年11月29日 評者=星野智幸(小説家)

■虐殺はこうして生み出される

 1970年代半ば、軍政時代のブラジル。サンパウロ大学助教授の女性が失踪し、その父で作家のKが捜索を始める。まず近所の人々に相談すると、警察に伝手(つて)があるという者が何人か現れる。そこで初めてKは、日常の中に密告屋がたくさん潜んでいる現実に気づく。行方不明の若者はログイン前の続き増え続けるが、政府は逮捕した事実もないと言い張る。Kは手がかりになりそうな話にかたっぱしからすがるも、何の事実にも行き当たらない。ブラックホールの淵(ふち)を周回するような日々に、次第に消耗していく。
 これは実在の事件であり、拉致殺害された女性は著者の妹である。ノンフィクションではなく小説として書くしかなかったのは、あまりにも事実が残されていないためだろう。つまり、軍事政権は、個人の存在を消すことで歴史を消したのだ。
 事件を、著者は父の視点から描いた。繰り返されるのは、娘にもっと関心を払っていれば悲劇は回避できたのではないか、と自分を責める言葉だ。著者は、この「生き残ってしまったことへの良心の呵責(かしゃく)」を遺族や身近な人が抱えるのは、軍政が罪の意識を遺族たちにまで共有させようとしたせいだと批判する。
 もう一つの読みどころは、虐殺に直接間接に関わった人の、それぞれ追い詰められた内面を、多視点で描いている部分だ。反政府活動から寝返ってスパイになった者。治安警察の実働部隊。拷問殺害を行っていた家で働かされた囚人。さらには、反対する同志を粛清して武闘路線を継承し、より多大な犠牲を出した反政府活動のメンバー。
 私が戦慄(せんりつ)を覚えたのは、長期欠勤を理由にKの娘を解雇するサンパウロ大学教授会の模様である。軍事政権の圧力に、大半の教員が保身のために協力する。これは私たちが今目にしている日本社会の姿ではないか。そう、本書は日本のありうる未来なのだ。

小高利根子訳、花伝社・1836円/Bernardo Kucinski 37年生まれ。本作でポルトガル・テレコム文学賞など。