2016年6月刊父の遺言伊東秀子 著

 

『大分合同新聞』2016年8月21日

著者の父・上坪鉄一は日中戦争当時、旧満州で憲兵隊長を務め、敗戦後ソ連に連行された。5年間の抑留の後、中国・撫順の戦犯管理所へ。細菌兵器開発のために設置された731部隊に中国人22人を送った罪により、特別軍事法廷で禁錮12年の判決を宣告された。
同法廷で裁かれた父をはじめとする戦犯45人の公表された自筆供述書を基に、彼らがいかにその罪を認めるに至ったか、戦争の「加害」の傷痕を追う書。帰国した父は「戦争は人間を獣にし、狂気にする」と語っていたという。

 

『北海道新聞』2016年8月17日付夕刊

戦犯の父「遺言」世に 731部隊 伊東秀子さん出版

 元衆院議員で弁護士の伊東秀子さん(73)=札幌市=が「父の遺言─戦争は人間を『狂気』にする」(花伝社)を出版した。細菌兵器開発のために人体実験を行った旧日本軍の「731部隊」に中国人の抗日運動家を送った罪に問われ、戦犯として裁かれた父の上坪鉄一さん(1987年に85歳で死去)について書いた。
 軍人だった鉄一さんは旧満州(現中国東北地方)での勤務が長く、3ヵ所の憲兵隊長を歴任。戦後はシベリア抑留を経て、中国の撫順戦犯管理所に送られ、中国による軍事裁判で禁錮12年の判決を言い渡され、58年に帰国した。
 生前の鉄一さんは折に触れ「やったことを思えば死刑になって当然」と口にしていたが、具体的に何をしたか伊東さんに語ることはなかった。終戦時は2歳だった伊東さんが詳細を知ったのは2010年6月、現在は資料館となっている撫順戦犯管理所をきょうだいで訪れた際だった。資料に鉄一さんの記録があり、その後、関連する別の記録などを収集した。
 2年前までは「父を含む旧日本軍の行為はあまりに凄惨」との葛藤から、積極的に口にすることはできなかった。しかし、集団的自衛権の行使を容認した14年7月の閣議決定を契機に「戦争はいったん始まると止められない」という鉄一さんの言葉を思い出し、知人らに語るようになった。昨年11月からは本の執筆を開始し、今年6月の出版にこぎ着けた。
 戦後71年の夏。伊東さんは「父は自分が犯した罪に苦しみ続け『絶対に戦争をしないように』との遺言を残した。その思いを多くの人に伝えたい」と話す。

731部隊★正式名は関東軍防疫給水部。ペストや炭疽(たんそ)菌などの細菌兵器を開発、実用化するため、1936年(昭和11年)に創設された。現在の中国黒龍江ハルビン市郊外に本部を置き、中国人捕虜らを使った人体実験を実施。実験の犠牲者は3千人にも上るといわれる。

 

『週刊読書人』2016年8月19日付 評者:臺宏士(だい・ひろし=ライター)氏

 「絶対に戦争を起こさないように、日中友好のために、力を尽くしなさい 父より」
 そう最期に言い遺した元憲兵隊長(上坪鉄一)がRKB毎日放送のプロデューサーを務めた上坪隆(故人)の父親でもあったことに気付いたのは、読み進めてすぐだった。次男・隆と著者の伊東秀子とは兄妹。つまり、遺言を残した父は、隆が製作したドキュメンタリー「戦犯たちの中国再訪の旅」(一九七八年)に登場する同じ人物だった。
 日本による侵略戦争という加害の視点が弱い「八月ジャーナリズム」の中にあって、同番組はその意義が再評価されている。鉄一が番組内で明かした、生体実験を秘密裏に行っていた七三一部隊に中国人を送りこんだ自らの戦争犯罪。シベリア抑留された後、中国の撫順戦犯管理所に移送された鉄一に対する判決は、禁固一二年。二二人が犠牲になったと断罪された。本書によれば、死刑も覚悟したというあの元憲兵の戦後は、慰霊と鎮魂に尽きるのかもしれない。
 ところで、私の個人的なことだが、大学の講義では、学生にこうしたドキュメンタリーを視聴するように勧めているし、教室で見てもいるが、学制が綴る感想文に戸惑っている。
 「日本軍も悪いことをしていたのですね」「日本軍は、なぜ捕虜や住民を処刑するのですか」
 戦争に対する今の学生のイメージは、原爆が投下された広島・長崎、大空襲のあった東京といった悲愴な被害だ。中学の歴史教科書から、今では慰安婦という言葉が消えるなど加害の記述が減る流れの中にある教育の結果なのだろうか。
 今年五月に現職として初めて広島を訪問したオバマ米大統領の演説では原爆投下は、空から死が落ちてきた、と表現された。戦争犯罪に今もなお向き合えない米国社会の現実を見せつけたが、それは日本の写し鏡でもある。
「戦争は時の為政者の考え方次第で、時代の衝動のように、突然、起こる。そしていったん戦争が始まったら、もう、誰もそれを止めることはできない」
 「どんな真面目な人間でも、戦地では平然と人を殺し他人の物資を奪い女を見れば強姦する」
 鉄一は、繰り返し家族にそう語っていた。伊東は心配し過ぎと感じたのだろう。ある時、「憲法九条があるから日本は戦争をすることは絶対にない」と反論したという。
 一九八七年に鉄一が亡くなってから約三〇年。中国で「認罪」し、帰国を果たせた元戦犯を「アカ」と呼び、奇異な視線を浴びせてきた日本は安全保障法制を整え、改憲勢力は国会の三分の二以上を占めた。その九条改正も視野に入った。
 隆は生前、「戦争の悲劇は人を殺すことを強制されることだ」と新聞にコメントしている。悲劇の当事者はその後の人生をどう生きるべきだったのか。伊東は、「聖戦だった」「私個人は悪くない」と言いつつ一生を終えたとしたら、と問かけ、こう結んでいる。「人間としてこれ以上の『絶望』はない」。
 本書は、上坪家だけでなく、日本の若い人たちへの遺言でもある。(敬称略)

 

「共同通信」配信記事2016年8月14日〜(山梨日日新聞、河北新報、下野新聞、神戸新聞、信濃毎日新聞、熊本日日新聞、神奈川新聞、琉球新報、京都新聞)

 著者の父・上坪鉄一は日中戦争当時、旧満州で憲兵隊長を務め、敗戦後ソ連に連行された。5年間の抑留の後、中国・撫順の戦犯管理所へ。細菌兵器開発のために設置された731部隊に中国人22人を送った罪により、特別軍事法廷で禁錮12年の判決を宣告された。
 同法廷で裁かれた父をはじめとする戦犯45人の公表された自筆供述書を基に、彼らがいかにその罪を認めるに至ったか、戦争の「加害」の傷痕を追う書。帰国した父は「戦争は人間を獣にし、狂気にする」と語っていたという。

 

『琉球新報』2016年8月14日付

731部隊関与 戦犯の娘として
人間狂わせる戦争
加害過小評価に危機感

第2次大戦中、生物兵器開発を目的に、中国、朝鮮人らに人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(731部隊)。奪われた命は3千に上るとされる。「悪魔の部隊」に犠牲者を送り込んだ元憲兵隊長を父に持つ札幌市の弁護士、伊東秀子氏が近著で、肉親が手を染めた戦争犯罪を告発した。終戦から71年の夏。「戦犯の娘」に真意を聞いた。(聞き手は共同通信編集委員 太田昌克)

─戦時中の満州で憲兵隊長を務めた実父、上坪鉄一氏の戦争犯罪を近著「父の遺言」で暴いた。
「昨年9月、1958年帰国と父が戦犯として8年間を過ごした中国・旅順の戦犯管理所の跡地を再訪した。その後、母校の同人誌に寄稿を頼まれた。大きな葛藤があったが、原稿を書き、兄に見せて相談したら『大事な話。本にすればいい』と背中を押された」
「憲兵隊長だった父が行ったことは、2010年に撫順を最初に訪れるまで何も知らなかった。この時、中国共産党が当時作成した父の起訴状を読んだ。『上坪鉄一は731部隊に(自身が摘発した)中国人22人を送った』と書いてあった」
「撫順に続き、731部隊のあったハルビン市郊外の跡地を訪れた。今は部隊の残虐行為を伝える資料館になっており、人体実験や凍傷実験を行った史実が展示されていた。『父はこんなところに中国の人たちを送っていたのか…』と急に実感がわき、歩けなくなるほど強い衝撃を受けた。家族への愛情が深く、孫にも優しい父だったから」
─上坪氏は生前、何も語らなかったのか。
「父は1987年に85歳で亡くなるが、私には何も話さなかった。だが母や三人の兄は知っており、テレビ局勤めだった兄は78年、父と訪中して番組も作った。ただ当時全容は分かってなかった」
─何が新たに分かったのか。
「6年間に撫順を訪れた後、父が戦犯管理所で書いた供述書のコピーを入手した。60ページほどある。その中で父は、22人ではなく、44人を731部隊に送ったと供述している。供述書は判決が出る前に父が書いた。冤罪事件も手がけてきた弁護士の私にしてみれば、判決前に自身に不利な供述をする被告人はいない」
「それでも供述したのは、自分が直接携わらずとも、部下が関与した事案の背負い、死刑となる覚悟を決めていたから。憲兵隊長としての戦犯行為を深く反省し、自分の罪は死刑に値すると覚悟していた。実は私自身、本を書くと決めるまで供述書を精読できなかった。父のさらなる罪状を知るのが怖かった。しかし供述書を読み、死刑を免れんとするあさましい根性を捨て切った父の『魂』に出会えた。自分がこの人の娘で本当によかったと思った」
─島嶼は供述書を読むのも怖かったのに、本まで出版した理由は。
「安倍政権の動きだ。2年前に集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、その後の衆院選では安全保障法制を争点にしなかった。そして昨年、安保法制を成立させた。父は生前こう語っていた。『戦争は時の為政者次第で、時代の衝動のように突然起こる。そしていったん起きたら止められない』父が言おうとしていたことが、始まるのではないかと危機感を抱くようになった」
「日本の加害を過小評価しようとする風潮も大きい。従軍慰安婦問題を巡り強制性はなかったとか、南京大虐殺の被害者数はそんなに多くないとか……。そのうち731部隊までもが否定されるのではないかと懸念した」
─上坪氏は特別軍事法廷で禁錮12年の判決を受けた。一方、731部隊幹部や戦時体制を主導した一部の者は罪に問われず戦後社会に復権した。
「戦争だから、命令だから仕方なかったとして、戦争中の行為を正当化する人も確かに多かった」それに大使、父は戦犯管理所で自身の加害に向き合い、もう帰ってこない被害者とその家族の怒りと悲しみに深く思いを致すことで、破壊された人間性と良心を回復していった。戦争は人間を狂気にする─。これが戦争の実態だ」

『北海道新聞』(2016年8月7日付)新刊情報

戦前、旧満州(現中国東北地方)で憲兵だった父親の反省をもとに、戦争のない平和な社会の大切さを訴える。著書は祝儀委員議員を2期務めた札幌の弁護士。

『憲法メディアフォーラム』(http://www.kenpou-media.jp/?p=2458)「お薦め本紹介」(2016年8月)評者:臺 弘士(フリージャーナリスト)

<戦犯の子>として父親の罪と向き合う

『父の遺言 戦争は人間を「狂気」にする』 

今年5月にオバマ米大統領が現職として初めて広島を訪問した。私も現地で多くの市民らとともに、オバマ氏を乗せた車列を見つめたが、56年前の7月に原爆慰霊碑の前に立ち尽くしていたのは、キューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラだった。「過ちは繰返しませぬから」。そう刻まれた碑文に心を揺さぶられたという。この経験によってキューバの教科書には原爆の悲惨さが記述されることになったという。
(中略)
 伊東秀子『父の遺言 戦争は人間を「狂気」にする』(花伝社)は、著者の父、弁護士の上坪鉄一(故人)が、戦後、シベリアに送られた後、中国の撫順戦犯管理所に移送され、裁かれた。起訴状には憲兵隊長として七三一細菌部隊に22人の中国人を送った、とあった。死刑を覚悟した判決は禁固12年。戦争犯罪を見つめ、深く反省した元軍人たちを、帰国した日本で待ち受けていたのは、公安警察関係者による監視と奇異な目だった。
 「絶対に戦争を起こさないように、日中友好のために、力を尽くしなさい」。
 鉄一は家族宛ての遺言書にもそう綴った。生前、伊東は父親の繰り言に「日本は憲法9条がある」と反論していたそうだが、いまや改憲勢力は3分の2を越え、9条改変も現実味を帯びる世の中になった。「戦犯の子」である伊東が、父親の罪状と向き合った記録であるだけでなく、加害の視点が薄れる日本社会への警告書でもある。